「利他主義」と「反利他主義」
反社会的な人々の言動の観察から、「反利他主義」という性質を発見したので簡単にまとめる。
利己主義が反利他主義に帰結する
「利他主義」とは、自身より他者の利益を優先する考え方である。人間は誰しも完全ではないので、一時的には利己的に考えたり振る舞ったりすることがある。社会ここでいう利他主義は、そういった一時的な言動ではなく、継続的に長期的に利他的な物事に関心をもって考えたり行動したりする性質、そして思想の方向性を意味する。社会においては、弱者を助けたり自然を守ったり、社会の脆弱な部分に関する問題に関心をもつことは、利他主義の例として分かりやすい。
利他主義の反対は、当然、自身の利益を優先する「利己主義」で、その意味は自明であるが、利己主義がさらに進行し、悪化し、重症化し、結果として陥る状態として、「反利他主義」を定義したい。「反利他主義」は、他者の利益を搾取する考え方で、とりわけ、社会における脆弱な部分、弱者やマイノリティー、あるいは自然や環境などを搾取の対象とする。結果、利他主義的な物事を嫌悪し敵視して攻撃する。
「保守」は反利他主義的である
言うまでもなく、反利他主義は反社会的であり、様々な反社会的勢力に通底する性質である。具体的な例を挙げれば、生活保護の不正受給を厳しく糾弾したり、自然保護団体の抗議行動を揶揄したり妨害したりする。これらの勢力が連帯した政治的勢力が、いわゆる「保守」であると言える。「保守」の思想は、反利他主義の延長であり帰結であって、かれらの主義主張のほとんどは反利他主義で説明可能であるが、この議論は別の文章に書きたい。
反利他主義的な人格は反社会性人格障害である
反利他主義的な精神性は、「他者の権利の軽視」する「反社会性人格障害」そのものであって、何かしら問題が発生した後に、一時的に謝罪し、あるいは表面的に反省して、治るわけではなく、何かしらの人格の治療が必要である。かつ、完治したことを客観的に証明する必要もあろう。
言うまでもなく、利他主義が健全で、反利他主義は病的である。全ての人が、利他主義的な精神性に基づく人格を持つことが望ましい。社会に出る前に、義務教育によって、最低限の人格が形成されるのが理想であるが、現実的には、個々人の人生のあらゆる段階において、健全な人格が確認され、問題があれば適切に治療される、包摂的な社会制度を実現するべきであろう。
利他主義的な主張が正しいとは限らない
利他主義的か反利他主義的かというのは、あくまで方向性であって、それらに基づく個々の主張の正当性は、独立した問題である。善良で利他主義的な意識で、社会的な問題に対して主張したとしても、その評価は、公平に、公正に、科学的に、客観的に、なされなければならない。個々の主張の評価は、主張する主体の人格の評価には、影響を与えない。反利他主義的で反社会的な主体が、部分的に正論を述べても、その(反社会的な)立場は、決して正当化されない(してはならない)。
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