「利他」と「反利他」の非対称性
利他と利他主義と反利他と反利他主義について説明を試みる。
反利他主義は反利他的な精神性である
弱者をいじめたり自然を壊したりするのは簡単だが、弱者を助けたり自然を守ったりするのは困難である。ポイ捨てとゴミ拾い、デマの拡散と訂正など、現実的な具体的な例を挙げるまでもなく、これら対立は非対称である。
社会を広く劣化させる性質が「反社会的」であるのに対し、利他的な行為を妨害しようとする性質を「反利他的」と呼ぶことにする。そして、反利他的な精神性に侵された考え方を「反利他主義」と定義する。反利他主義は、差別主義者や、「保守」と呼ばれるような人々の思考の傾向そのものである。
反利他主義は連帯する
一般には、利他主義の反対は利己主義であるが、反利他主義は、利己主義よりもずっと悪質で、社会にとって有害である。反利他主義は利己主義の延長であり、利己的な人が、利己的に考え続け、利己的に振る舞い続け、そのまま社会に出て、場合によっては連帯して集団化すれば、搾取の対象は必ず社会の脆弱な部分に向く。「嘘つきは泥棒の始まり」の諺通り、必然的な結果であるといえる。
反社会的言論態度は言論ではない
言論における反社会性、あるいは反社会的な言論態度については、別の文章で説明するつもりであるが、話題の傾向については、利他的な行為に関心が向けられることがあれば、揶揄したり、冷笑したり、あるいは(彼らにとって)「都合の悪い」こと(つまり利他的行為)から意図的に目を逸らす。
彼らの吐き出す言葉は、どれも無責任で、気味が悪く、苛立たしく、反論したくなるものばかりであるが、非対称な状況で不毛なやり取りは避けて、相手が反社会的で社会的対話の土俵に立っていないことを確認するに留めるべきである。(反社会的な言論に対抗する、具体的な方法論は現在研究中で、後でまとめる。)
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