「パーカーおじさん問題」の本質は「何々カジュアル」という概念とその拡大
「パーカーおじさん」問題について、数回に渡り述べてきました。
本題に入って締めることにしたいと思います。
「私服」という概念
「パーカーおじさん問題」の本質は、「私服」という概念から生じたと私は捉えています。
「私服」とは何か。
制服以外の全ての服は私服です。本来は。
しかしながら現代では、ビジネススーツのことを私服と呼んでいない現状があります。
学校と職場を「公」として、それ以外を「私」とする人間が増えたからです。
自営業率の低下やホワイトカラーの増加により、仕事イコール背広の人間が増えた、という側面もあるでしょう。
スーツは誰かがうるさいから着る服
現代の日本人にとって「ビジネススーツ」とは、「誰かがうるさいから着る服」です。
この場合の「誰か」には上司や先輩が入ります。
IT業界などの、うるさい人間が少ない業界では、パーカーの人間が多いように見受けられます。
官僚パーカー(厳密には「公取委パーカー」)でも、パーカーでないほうがうるさい人々を封じているという意味では、ビジネススーツの延長線であるように見受けられます。
「ビジネスカジュアル」という概念
ビジネススーツの延長線として出てくるのが、「ビジネスカジュアル」という概念です。
ビジネスカジュアルは明確な定義がありません。
老害どもが「失礼にあたらない服」だと思えば、全てビジネスカジュアルです。
老害どもが「そんな服は失礼だ」と言った場合、如何なる服もビジネスカジュアルでないのです。
ビジネスカジュアルには明確な定義なんてなく、老害が恣意的に決めるものなんです。
例外はスーパークールビズだけでした。
スーパークールビズだけが事細かに決められて、明文化されていたのです。
「オフィスカジュアル」という概念
ビジネスカジュアルよりもくだけた服装として、「オフィスカジュアル」があります。
ビジネスカジュアルほどでないけれども、但し、オフィスには適した服装という文言です。
ビジネスの打ち合わせがない時などであれば、「オフィスカジュアル」も許されるという文脈で用いられています。
「許される」なんです。
実は、オフィスカジュアルであるか否かも老害が決めます。誰が許すのかという話ですから。
老害が許せばOK、老害が許さないならNG。
そんな明文化されない、恣意的な運用で決まる、くだらない概念が「オフィスカジュアル」です。
「バーカジュアル」が出来てたまるか
私が炎上の火種の女性を老害だと思ったのは、「そんな服では失礼だ」という概念を拡大して、撒き散らしているからです。
「そんな服では失礼だ」を仕事終わりにも広げ、「飲みの場」の服を縛ろうとしているからです。
もし「バーカジュアル」や「居酒屋カジュアル」なんてものが出来たら、最低最悪です。
そんなものをつくりかねないような老害に対し、極めて強い嫌悪を抱きます。
清潔感という大義名分を掲げていますが、実際はパーカーを排除する排他主義者です。
スマートカジュアルもしくはそれに準ずるものでバーに来い、という全体主義者です。
そんな人間は、若年女性であろうと老害です。
極めて強い嫌悪を抱かざるを得ません。
槍玉に挙げたのが偶々パーカーだっただけ。
「パーカーおじさん問題」の本質とは、パーカーというアイテムではないのです。
問題の本質は「何々カジュアル」という概念と、その拡大を目論む老害が、排他主義と全体主義を狡猾に隠していることです。
偶々、若年女性が老害であっただけ。
少なくとも私にはそう見受けられます。
御洒落をする自由は大いに結構ですが、一方で、御洒落を強いる悪意を私は認めていません。