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「パーカーおじさん問題」を視力と語彙に着目して述べてみる
前回、「おじさんパーカー問題」について述べることにしました。
少しだけ続きを述べることにします。
部屋着にしか見えないという視力
まず、彼女はオシャレ視力に問題があります。
ここでいう視力とは、識別能力のことです。
「清潔感が感じられず、だらしなく見えるおじさんが多いから、というシンプルな理由です。相手からすれば部屋着にしか見えないのに、楽だからという理由でパーカーを選ぶのは社会人としていかがなものかと思います」
彼女の目にはそう見えています。しかしながら、部屋着でないパーカーはあるのです。
部屋着でないパーカーはある
森井良行さんは以下のように述べています。
ジーンズから「デニム」へと呼び名が変わったように、日本でパーカーが「フーディー」と呼ばれはじめたのは、ここ7~8年だと記憶しています。それまで「ヘビーウエイトなコットンで織られたアイテム」という印象でしたが、この頃から「ダンボールニット」と呼ばれるニット素材のものも増えてきました。
これはダンボールの構造を模したニット素材で、軽い生地感にもかかわらず張り感があるもの。この質感は従来のパーカーがもつ「家着っぽいイメージ」とは異なり、フーディーという新たな名称とともに「よそ行きパーカー」というポジションを築くことに成功したのです。
ダンボールニットのフーディーが登場したことにより、「よそ行きパーカー」というポジションが確立されているのです。
私はポジションというよりも「ジャンルの違い」だと捉えています。
従来型の「ペラいパーカー」ならば部屋着。
そうでないなら部屋着ではない。
全く別のジャンルであるという捉え方です。
ジャンルが違うものを一緒くたにしてしまうのは「オシャレ視力」の欠如に他なりません。
「相手からすれば部屋着にしか見えない」ということは、彼女のオシャレ視力がしょぼいために、見分けがついていない、ということです。
部屋着には見えないものは何か
彼女のオシャレ視力がしょぼいために、見分けがついていないのは良しとしましょう。
万人にオシャレ視力を求めるのは酷な話です。
その程度のオシャレ視力であっても、だらしなく見えないものはあるからです。
おじさんにとって、だらしなさを取り除くことは重要課題なのに、なぜセーターやシャツではなくパーカーを選ぶのか。
疑問形にしてありますが、だらしないパーカーでなく、だらしなくないセーターやシャツを着ろ、という彼女の自論が述べられていますね。
語彙を丁寧に扱っていない
ん?
セーターやシャツなら「だらしなくない」?
カウチンセーターもフィッシャーマンセーターもセーターはセーター。
Tシャツもネルシャツもシャツはシャツ。
清潔感よりも使用感を好むアメカジにおいても、セーターやシャツはあるのです。
言っていることが滅茶苦茶です。
セーターやシャツについても、一緒くたに述べてしまっている女性だということですね。
おそらくは、ハイゲージニットや襟付きシャツのことを述べているようには思います。
しかしながら、語彙を丁寧に扱っていないように私には見受けられます。