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二・二六事件における論理と論理破綻
前回、二・二六事件における雪の話にしました。
今回は二・二六事件における天皇の怒りについて述べます。
天皇の怒り
二・二六事件における天皇の怒りはよく知られている話ですね。
有名なものは以下です。
「朕が股肱の老臣を殺戮す、このごとき凶暴の将校等、その精神においても何のゆるすべきものありや」
「朕みずから近衛師団を率い、これが鎮定に当らん」
(『本庄日記』本庄繁 原書房 旧漢字・かなづかいは読みやすく改めました)。
天皇本人が怒りを露わにしてここまで言ったのは二・二六事件の時「のみ」です。
「君側の奸」と「君主自ら」
ここで重要なのは「朕自ら」です。
青年将校たちは、「君側の奸」(くんそくのかん)を取り除きさえすれば良い国になるのだ、と思っていました。
「君側の奸」とは君主側近の奸臣のことです。
その例え話が、太陽と作物でした。
部隊を率いたひとり、安藤輝三大尉は事件前、天皇を太陽に、国民を作物になぞらえ、太陽の光を遮る側近や財閥を取り除かなければいけないと部下に語っていたといいます。
令和で言うところの「中抜き」を取り除けということなんですね。
「中抜き省庁」や「中抜き企業」を取り除いて、太陽を作物に当てれば良いのだと。
悪いのは太陽ではなく遮蔽物。
悪いのは君主ではなく君側の奸。
青年将校にはそういう理屈がありました。
けれども、「朕自ら」という言葉はそんな理屈を打ち砕きます。
青年将校たちが「君側の奸」を除くと掲げていたところで、君主自らが鎮定すると言っていたら、その論理は破綻することになるのです。
「股肱之臣」
もう一つ重要なのは「朕が股肱の老臣を」。
股肱(ここう)とは太腿と肘です。
我が手足の老臣を殺戮するなんて、何も許すべきものはない、と言っているのです。
天皇の手足として動いてきた老臣を殺戮するとは何事かということなんです。
青年将校たちは天皇を取り巻く奸臣を取り除くと掲げていました。
けれども天皇は、天皇の取り巻きの奸臣でなく、天皇の手足であった老臣を殺戮したと言っているということなんです。
天皇に群がる奸臣ではないのだと。
天皇の手足の老臣を殺戮したのだと。
そんな天皇のメッセージなのです。
「君側の奸」でなく「股肱之臣」であったのだと天皇自らが言うことによっても、青年将校たちの掲げた論理は破綻することになるのです。
一番の問題はスピード
二・二六事件の一番の問題はスピードなんです。
論理と論理破綻が明確ですから。
蹶起趣意書の段階か、或いは、「不穏な動き」を察知した段階で、論理と論理破綻を示すことさえできていれば、誰も死なずに済んでいました。
けれども、襲撃後まで誰も示せませんでした。
天皇を含めて、誰一人としてです。
軍上層部がお役所仕事だったからです。
農村の困窮は知ってはいるが、板挟みであるから何とも言えない。
何とも言えないから、何も言わない。
事勿れ主義でお役所仕事の典型です。
何らかの判断をすると保身が出来ませんから。
こんなお役所仕事では論理と論理破綻を速やかに(スピードを以て)示すことは出来ません。
二・二六事件はその背景に困窮がありましたが、その直接の引き金は「無為」なんです。
役人(この場合には軍人)による無為の積み重ねが、蹶起趣意書に至り、蹶起になってしまった。
蹶起の前に天皇の言葉なり詔書なりがあったらと思わずにはいられない話なんです。
宮城事件の悪質さ
勿論、天皇の言葉でさえどうにもならないこともありました。宮城(きゅうじょう)事件のことです。
二・二六事件は、「君側の奸」を取り除くことを目的としていたために、君主自らの言葉によってその論理が破綻するものでありました。
ゆえに私は、二・二六事件より宮城事件のほうが悪質であると思っています。
勿論、二・二六事件が悪質であることに変わりはありませんけれども。
宮城事件は玉音放送の阻止未遂事件です。
玉音放送を阻止するため玉音盤の破壊未遂をし、森赳(もりたけし)近衛師団長を殺戮した宮城事件のほうが、より悪質なんです。
玉音盤は天皇本人の言葉を録音したものです。
君主自らの言葉を破壊する理屈はありません。
理屈もなく、君主の言葉を覆そうとしたのです。
戦争を継続したいという私利私欲のためにです。
しかも宮城事件には法的手続がありません。
事件後についても二・二六事件より悪質です。
二・二六事件は日本史上屈指の事件なのですが、論理と論理破綻の両方がありました。
宮城事件には論理がなく、事後手続もないという意味で、二・二六事件よりも悪質であったと主張したいと私は思います。