
「ギリギリ成り立つ」は成り立ってなんかいない
今回の台風に限った話ではないのですが、天候による交通の混乱を見て、思うところを述べます。
「ギリギリ成り立つ」は成り立ってなんかいないということです。
アンダーパス
アンダーパスを知っていますか。
線路の下をくぐるような道路のことです。
アンダーパスは、台風や豪雨によって、水没することがあります。
無理矢理走行してお亡くなりの方もいますから、本当に危ないのです。
しかしながら、現在でも昭和のアンダーパスが、昭和のまま、令和の現在でも用いられています。
何故か。
晴天なら行けるからです。
雨天でもギリギリ行けることがある。
けれども豪雨では行けません。
これが危ないのです。
ギリギリ成り立つから。
豪雨の時には行かないでおけば良いだけだから。
で、ずっと昭和のまま。
道路に限った話ではなく、よくある話です。
渋滞
渋滞もそうです。
オーバーツーリズムに伴う観光渋滞の場合には、イベントの時だけだから我慢すれば良いだけだ、と言われます。
(この時点でもう論外ですが。)
オーバーコマーシャリズムにおいても同様です。
イベントの時だけだから我慢すれば良いだけだ、と言われます。
嘘です。
ショッピングモールの近辺では、イベントのみに限らない、慢性渋滞を生み出しています。
我慢すれば良いだけだから、ではいけません。
ギリギリ成り立っているようで、全く成り立ってなんかいないのです。
何故ギリギリで成り立たせるのか
そもそも、何故、ギリギリで成り立たせなければいけないのか。
特に理由なんてないのです。
「我慢してもらうことにはなりはしますけれども皆さん我慢してもらっていますから」は、理由を言っていないでしょう。
そういうことがよくあるのです。
ゆえに危ない。
ギリギリで成り立たせているから、台風や豪雨で大幅な予定の変更があるのです。
ギリギリで成り立たせているから、渋滞によって近隣住民の生活まで悪化するのです。
予定の変更や生活の悪化だけではありません。
無理矢理なアンダーパスの走行によって、人間の生命までもが失われているのです。
無駄に見えても無駄じゃない
無駄に見える排水施設。
無駄に見える貯水池。
無駄に見える道路。
その多くは、無駄ではないのです。
台風や豪雨の時には必要なんです。
勿論、無駄な道路はあります。
残念ながら、そこは否定できません。
けれども、無駄に見えて無駄でないものなんて、いくらでもあります。
我慢によってギリギリ成り立つのを放置しているほうが、余程無駄。
ギリギリでなんとか成り立たせているようでは、天候によってすぐに左右されます。
ギリギリで成り立たせていてはいけないのです。