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「どうして僕が!」失意の始まり
どうして僕が!
30歳のある日、突然私は動けなくなった。自分の足で歩き、手で物をつかむという、当たり前だと思っていたことが、一瞬にして奪われたのだ。
それは、日常の隙間に忍び寄ってきた見えない敵だった。体が少しずつ思い通りに動かなくなり、医者に告げられた言葉は、遺伝性脊髄小脳変性症。治療法はなく、進行を止めることも難しい病気だということを知ったとき、世界が音を立てて崩れ落ちた。
病気が進行していくなかで、私は一つの壁にぶつかった。家の中ではなんとか動けたものの、外に出るのが怖くなり、自由に体を動かせない不安に押しつぶされそうだった。そして、ついには車椅子での生活を余儀なくされ、仕事にも行けなくなった。
正直、絶望しかなかった。自分の価値が一瞬にしてゼロになったかのように感じた。今まで普通にできていたことが、もうできない。体が不自由になった自分に、どんな未来が待っているのか。それを考えると、気持ちが押しつぶされ、何も手につかなかった。
死を考えたあの夜
そんな日々が続いたある夜、「こんな世界から、死んでやる!」と私は本気で自殺を考えた。病気は進行する一方で、治る見込みもない。体はどんどん自由を失い、未来に希望なんて持てなかった。子供がいるのに、自分は何もしてやれない。そんな絶望感に打ちのめされ、すべてを終わらせたくなった。
暗い部屋の中、静かな夜の空気が重たくのしかかる。心の中には「もう楽になりたい」という思いが渦巻いていた。だが、ベッドのそばで寝息を立てる子供の姿を見た瞬間、その考えがかき消された。
「この子を残して、自分だけ楽になってはいけない」
その思いが胸を突き刺した。自分がいなくなれば、残されるのはこの子一人だ。親として、そんなことをさせるわけにはいかない。まだ小さなその背中は、私に生きる意味を与えてくれた。たとえ体が自由に動かなくても、この子のために生きることができるなら、それだけで生きる価値があると思った。
試行錯誤の日々:フリーランスの道
だが、それからの道のりは決して簡単ではなかった。まずは、自分が何ができるのかを考え始めた。体は不自由になったが、頭はまだ動く。スキルは残っているはずだ。
元々ITの知識があった私は、ハローワークの支援学習や自己学習をしながら、在宅でできる仕事を探し始めた。
最初は、内容としてはデータ入力や簡単なサイト作成からのフリーランスとして仕事を受けることを決め、最初は小さな案件からこつこつと始めた。スマホアプリの開発やウェブサイトの制作、簡単なプログラミングの仕事。少しずつ実績を積み重ねていくうちに、クライアントも増え、収入も安定してきた。
でも、フリーランスとしての孤独は大きかった。誰にも頼れず、自分で全てを解決しなければならない。けれども、その過程で私は自分の力を再確認した。困難に直面しても、あきらめずに挑戦し続ければ、道は必ず開けるということを学んだ。
会社設立:新たな挑戦への決意
フリーランスとしてある程度の成功を収めた私は、次のステップを考え始めた。それは、会社を作ることだった。自分一人ではなく、仲間と一緒にもっと大きなことができるのではないか。そう思い立った私は、ソフトウェア開発の会社を設立することを決意した。
会社を立ち上げることは、また新たな試行錯誤の連続だった。経営の知識はほとんどなかったし、人を雇うことへの責任感も重かった。しかし、私は一歩ずつ着実に進んでいった。受託開発や自社開発を進め、事業を拡大することができた。車椅子での生活を送りながらも、リモートワークを活用して仲間と共に働くことで、障がい者でもビジネスを成功させられることを証明できたと思っている。
そして何よりも、私は子供と一緒に新しい人生を歩むことを選んだ。シングルファーザーとして、子育てや家事を全てこなしながら会社を運営するのは、決して簡単ではない。時には仕事に追われ、家事がおろそかになり、子供と向き合う時間が足りなくなることもあった。しかし、それでも諦めずに続けてきた。
子供の笑顔が生きる力
今振り返って思うのは、私がここまでやってこれたのは、すべて子供のおかげだということだ。最初に絶望の底から救い上げてくれたのも、日々の困難を乗り越える力を与えてくれたのも、すべてこの子の存在があったからだ。
会社を運営し、成功を収めている今も、私にとって一番大切なのは子供との時間だ。毎朝、子供を学校に送り出し、夜は一緒に夕食を作り、笑顔で過ごす。その一瞬一瞬が、私にとってかけがえのない宝物だ。
もし、あの夜、子供を見なかったら、私はこの世界にいなかっただろう。そして、今の私もいなかった。私を支えてくれたのは、何よりも「親としての責任」だったのだ。
未来へ向かって
今、私は前を向いて生きている。会社は順調に成長し、仲間と共に新たなプロジェクトにも挑戦している。障がい者だからといって、何もできないわけではない。できることは無限にある。それを一つ一つ見つけ、挑戦していくことが大切だ。
そして、何よりも私は父親だ。子供の未来のためにも、これからも精一杯生きていくつもりだ。体は不自由でも、心は自由でありたい。そして、この先も新たな挑戦を続け、親として、経営者として、私自身の道を切り開いていきたい。
動けなくなったその日から始まった、私の新しい人生。失うものが多かったが、それ以上に得たものも多い。子供と共に歩んだこの道のりは、私にとって最高の冒険であり、これからも続くのだ。
読者へのメッセージ
人生には予期せぬ困難が訪れることがあります。しかし、どんな状況でも、自分の価値を見つけ出すことはできます。私の経験が、あなたが一歩を踏み出すきっかけになることを願っています。