見出し画像

わたしを見つめる

タイトルから想像するに、
料理の前に坐禅をしてお坊さんにペシッとたたかれて再び瞑想する。
心を落ち着かせてからいよいよ料理教室を行う。

というように思うのではないか。


インストラクター養成講座のある課題のこと。
「好きなこと」「人から褒められること」「やりたくないこと」
それぞれ5個以上でなるべく詳しく説明することが求められる。

好きなことはいくつか挙げられるが、問題は「人から褒めれれること」

全然書けない。思い出せない。本当にない。記憶にも残ってない。
というようにまったく書けずそのまま提出。

すると先生から一言。

「自分が当たり前と思っていることをこそ、共感という武器になる」

「え、当たり前じゃないの」

民族的に日本人は相手を思いやる心を持って生活をしている。
目上の方には正しい言葉遣いをすることや、自分をヘリ下げて物事に向き合うことがある。そのせいか、自尊心があまり感じられず自己表現がなかなかできないという。

まさおもそうである。
そしてこの課題でこの思いは一層深まる。

「人から褒められること」などない。あるに越したことはないが、あったとしても記憶にない。

そこで先生からの「自分にとって当たり前のこと」を考える。


まさおにとって当たり前のことは無添加の暮らし。

子どもの将来を考えて今から少しでも体や環境にやさしい選択をしていることが何年後かに大きな幸せとなることを願っている。
そんな中で発酵料理に注目するようになり、より多くの方にこの発酵の魅力を伝えるためにインストラクター養成講座を受講している。

周りに無添加の暮らしをしている人が少ないせいか、話をする機会がない。
伝えきれない時には自分も相手もモヤモヤした気持ちのままの時間がある。
そしていざ話をするとなると伝えきれないことが多い。
これは本当に実感している。
自分の中できちんと理解できていないことは必ず相手にも伝えられない。

自分を問う。

まだまだ自分の中で無添加生活のメリットやデメリットなどを深掘りしないまま生活をしているということに改めて気づく。

「え、そんなこと。当たり前じゃないの」

すごく大切なこと。
自分からすれば当たり前のことも他の人からはそれはすごいことで到底マネできなこともあるのではないか。

まさに「人から褒めれれること」がそうである。
他の人が見ているわたしは、実はすごくすてきな自分。
それを必ず「そんなことないですよ」と返してしまう自分。

もうウソをつくのはやめませんか。

わたしが好き

わたしがわたしのことを好きでないと、人を幸せにできない。

わたしの「好き」が雰囲気や表情、明るさに自然とあらわれて、その魅力やオーラ、楽しさに共感できる仲間が集うのではないか。

それが先生という立場になれば
ファンとなり、同じ志を持つものでその空間は幸せに満ち溢れ、
時間はあっという間に流れ、
みんなが明るく元気で若々しく話をしている。
これは想像できる。

わたしが好きなわたしのところ。

禅や瞑想はお寺や静かなところで1人でたんたんと行うもの。
確かにこれはストレスの軽減につながるなどの健康において良い効果があると聞いている。

しかし、料理教室はそうではない。
料理が好き、発酵を知りたい、甘酒を作りたい、など人それぞれの理由があって通うことになる。

ではその方がなぜまさおの料理教室を選ぶのか。

それは共感できることやもっと知りたいということではないか。

大切な人を守るために始めた無添加生活。その中で発酵に興味を持ち、発酵の魅力を伝えようと受講している。

まさおが理想としている料理教室を思いえがき、今やるべきことを改めて知ることができた。
共感できることやもっと知りたいなどのまさおに興味を持ってくれるようにしたい。

まだまだわたしを見つめることができていない。
見えていないところや他の人からしか見えないところもある。

それでも、
自分の中の当たり前ことが大きなヒントとなり、これが人を幸せにするチャンスになることを実感。


おっと、明日はBasic講座。
今日はこのあたりで。ありがとうございます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?