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横着【エッセイ】一八〇〇字

「若いときの苦労は買ってでもせよ」
 と、数学の先生がよく口にしながら、テストには『大学の数学』レベルの難問を出題し、宿題はたんまりと出されることがよくあった。そのお教え通りに散々苦労してようやく入った大学の一年のとき、夏休みの旅先である寺の和尚に、「キミは、大器晩成だね」と言われた。つまりは、「早くからの成功はない」「若いときは、苦労をする」ということなのだろう。事実その後、三十路までは典型的なモラトリアムだった。
 そんな人生経験が染みついているのか、何をするにも、「最初に苦労すること」を苦労とは思わない性格が身に着いたように思う。ただ、その先に「楽」があると明らかなら、という条件付きではある。つまり、とどのつまり、はっきり言ってしまえば、「楽をしたい」のである。

 過日書いた「小学校時代の夏休みや冬休みの宿題。最初の2週間で仕上げ、あとは遊ぶ」というのも、その流れ。同じ論理である。「最初にきついことをやってしまう」と、後は楽になる、という自分なりの経験則があるからだ。面倒くさいことは真っ先に方つけてしまって、あとはノンベンダラリとしたいだけなのだ。
 真面目な方なら、休み中、計画的に勉強しているだろう。裏返すと、私の場合は、計画的にコンスタントにこなす、というやり方が苦手なのだ。かつ、やるべきことを片っぱしに仕上げた方が、頭を使わなくて済むからということでもある。

 このエッセイを書いている今、ボビー・マクファーリンを流している。‘Don't Worry Be Happy’が入っている“The Best Of Bobby McFerrin THE BLUE NOTE YEARS”ばかりを流している。アカペラが特に多く、歌詞は極めてプレイン。聞き流すのに邪魔にならない。「聴いている」ではない、「流している」。「聴く」と書くことに集中できないので、聴き流す。そして、「Don't Worry Be Happy」と励ましてくれる。いかにも良い文章が書けそうな気がしてくる。

 「ながら」で音楽を聴くときは、このCD一枚。他は聴かない。ず~っと同じCDを繰り返し、交換しないで流す。集中が途切れることを避けたい、ということもあるけども、一番の理由は、交換するのが面倒、ということ。自分を振り返ってみるに、同じパターンを単純に繰り返すことが、多い。そのほうが楽ちんなのだ。規則正しい生活をしているようだが、これもいちいち考えるのが面倒なので、同じことを繰り返しているにすぎない。

 料理をしているときも、流す。調理中は禅問答に近い境地に入る、いや、手を切ったりやけどしたりしないように集中しているので、歌詞が聞こえていないだけなのだ。なので、なんでも良いのだが、やはり、ボビー・マクファーリンがいい。
 食事も、基本的には同じ論理。食事の後に、汚れた食器が溜る。すると、まとめ洗いが億劫になる。また、食事するのはけっこう体力を使う。なので、疲れる。疲れているときに洗い物するのは避けたい。終わったら、すぐにゆったりと、コーヒーでも淹れて大福を頰張りたい(肝臓を壊す前は、食後酒としてブランデーグラスを傾けていたが、いまはできない…)。
 したがって、無用になった食器は、その都度キッチンに運び、洗う。その繰り返し。誤解ないように申し上げるが、「孤独のグルメ」のときだけである。むろん、大切な人と食する楽しい晩餐のときは、例外である。その相方さんが、洗ってくれる。

 誰でも楽をしたいと思うだろう。私の場合は、その「楽する」仕方が、ちょっと違うだけ。とにかく、私は、不真面目。で、面倒くさがり屋なのだ。真面目なひとは、面倒くさいことでも時間かけてでもやろうとするだろうが。私の場合は、まず手抜きできないかを考える。
 面倒臭いと思うからなんとか楽をしようと考えるから、発明に繋がる、と固く信じている。現役のとき、取引先の某「ファッションの百貨店」さんとの取引で、かなりの売上を稼ぐことになったデジタルカタログがそうだった。WEBにあげるカタログを受注の都度デザインするのは面倒。なので、データを放り込むと目的が達成できるシステムを開発。この後、売上が安定し、飛ぶ鳥を落とす勢いとなった。
 毎日、その日の仕事を遅くても4時までにできないかを考えた。どうしても無理で、当日でなくても良い案件は、明日に回す。そして、5時には、赤提灯の街に出かけるのである。

 ただし、人生は、最初に苦労しておけば死ぬときに「ああ楽ちんな人生だった」ということになる、とは限らないらしいから、横着な人生は、やはりほどほどに、ね。

 エッセイを書き終え、いま五輪真弓の『さようならだけは言わないで』をレコードで聴いている。この不便さが、いい。(◎_◎;)

(おまけ)
12月8日の東京新聞朝刊のコラムを2本を紹介します。「目から鱗」もののコラムと思いました。

内田樹「時代を読む」


「公選法が想定していないトリッキーな行動を次々ととることで東京知事選も兵庫県知事選もカオス化してくれた者がいたけど、改めて公選法が性善説に基づいて設計されているという厳粛な事実を前景化してくれた点では功績があった」と、あの「御仁」のことに触れています。公選法の「穴」を指摘してやったり、と大きな鼻穴をさらにおっ拡げた、あヤツのことです。

東京新聞朝刊(2024年12月8日)

軍人は、命じられれば善良な市民でも撃つ。日本でも戦時中の事実としてある。韓国では、44年前、死者190人以上、行方不明者400人以上の犠牲者を出した光州事件があった。が、今回の事件では、無かった。それが幸いした。

東京新聞朝刊(2024年12月8日)

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