踏切【エッセイ】六〇〇字
明日は、もう立冬。つい最近までの「暑い!」が、いきなり「寒い~」昨今。そろそろ床暖のスイッチを入れたくなります。「エッセイ教室」に通う服装も、短パン姿がジーパンと長袖シャツに衣替えです。
その秋講座(全八課題)。四回目のお題は、「踏切」。
田舎育ちで馴染みがないせいか、踏切には恐怖感があります。いまでも、車で渡る場合は、とくに緊張します。まさに「踏んで」「切る」というイメージです。そして、私にとって渡らなければならない人生の「踏切」のひとつが、「初の上京」でありました。
過日書いた「沁みる夜汽車『上京篇』」の1,800字をリライトしました。
「札幌の街が、滝川からたくさん連なっている感じだよ」と、母から聞いていた。
戦前の二年間、母が暮らしたことがある東京の遠縁の家に、大学受験で一か月ほど宿泊することになった。三億円事件の一年後で、現場近く。得体の知れない大都会。家までの経路を書いたメモを、母が渡してくれた。
津軽海峡を渡るのは、高校の修学旅行は病気で行けなかったので、中学以来。バスで四〇分の滝川から函館までは、特急。青函連絡船・十和田丸。そこまではなんとか。深夜の青森発の寝台特急からが、初体験になる。
三段の真ん中。梯子を上り横になる。線路を走る列車の音、ガタンゴトン。警笛音、ビュォーン! 踏切の音、カンカンカン。寝られない。寝台から窓の上部を通して、外の風景が見られる。街中を通過するときの街灯に照らされた雪景色以外は、ほとんどが真っ暗闇。無数の星がゆっくり右に移動する。寝られない。ただただ、何度もメモを、見返す。
埼玉あたりから、家が密集し始めた。
「街が連なっている。お母ちゃんが言ったとおりだ」
上野からは目だけを動かし、表示板に集中。キョロキョロして田舎もんと思われないように。そして、やっと最後の京王線に。
初春の日差しが背に、柔らかい。間隔が短い踏切と踏切。警報音が、子守歌のように、カ~ンカ~~ンカ~~~ンカ~~~~ン。
TOP画像:「トレたび」サイトから
(ふろく)
私的<怖い踏切No.1>
コロナ禍前までゴルフを一緒することが多かったAさんの自宅近くの踏切。眠気覚めやらぬ早朝。この踏切でいっぺんに気合が入る。
写真の踏切を地図で示すように線路をUターンするのである。かつ、この道路は双方向である。この狭さで、である。
高校3年生の正夫くんは、この踏切も京王電車で通過したのだろうね。
(おまけ)
朝日新聞朝刊(2024年11月4日)の「声」に、こんな投稿がありました。
先々週、(おまけ)で書いた「最高裁判所裁判官国民審査」への疑問です。ごもっともと思いました。
最高裁国民審査は毎回全判事を
無職 守永大策さん(茨城県 75)
衆議院議員選挙に合わせて実施される最高裁判所裁判官の国民審査を今回ほど心待ちにしたことはなかった。3年前に経験した裁判の上告審判決に納得できないものを感じ、今回の国民審査では、判決に関与した裁判官5人に×印をつけることを決めていたからである。
しかしながら、今回の審査対象の中に、3年前の私の裁判を担当した裁判官は一人もいなかった。国民審査公報を確認したところ、今回対象となる裁判官は、前回の国民審査の完了後に最高裁判所裁判官になった人のみ、とのこと。一度国民審査を受けた裁判官はその後の裁判でどのような判決を下しても、10年後まで国民審査の対象にならないという。
今回の審査対象の6人の中には、「最高裁判所において関与した主要な裁判」の欄に「就任後日が浅いため、特に記すべきものはありません」と記載されている裁判官が2人いて、やめさせたいか否かを判断する材料を持ち得なかった。現在の仕組みなら、こうしたことは当然起こりえる。制度の瑕疵(かし)ではないか。
最高裁判所裁判官の国民審査は、毎回、15人の裁判官全員を対象にしていただくことを切に希望する。