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雪国【エッセイ】一二〇〇字

 高校まで住んでいた北海道中央部は、北緯43度にある。昨今、毎日目撃することになった「ウ」国は、北緯44~52度。北海道の北部と同じ位置にある。一昨日の夜、『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』という映画を観る。3月という設定なのだが、まるで北海道の平原そのものの雪景色だった。(この映画では、「ウ」国の「ロ」国への怨念の動機のひとつとなる悲劇「ホロドモール」が描かれている。また別の機会で、紹介できればと)

(主人公が、母の「ウ」時代の生家を見つけたシーン)

               ※

北海道の冬は厳しい。しかし、子どもにとっては、ワンダーランドだった。

 60年前(なんと「還暦」以上も前だ・・・嗚呼・・・)の小学4年まで、父親の仕事の関係で富良野や旭川の北の愛別という町で過ごした。

 冬でも、猛吹雪(いまで言えば、ホワイトアウト)でなければ、家にいることはなかった。雪合戦、雪の土俵での相撲、「かまくら」でのまま事、と遊びには事欠かない。道具はスコップだけ。そのスコップに尻を乗せ、ちょっとした雪舟そり遊びもできる。

 やはり、一番のエンタテインメントは、スキーだ。だが、北海道でも雪が多い地域なのでスケートをする機会は、少ない。せいぜい、「竹スケート」。5cmくらいに細く割った竹に乗って道路のわだちを滑って、スケートの真似事をやる程度。だから、スケートの一流選手は、比較的雪が少ない道東に多い。

 ちょっとした坂があると、ゲレンデになる。屋根の雪が滑り落ち軒下と繋がる時期になると、屋根から滑ってくる。軒下とのすき間がある場合は、ジャンプ競技だ(むろん、住人に叱られることになるのだが)。崖では、勇気試し。斜度40度を超える坂を転ばずに滑られるかを、競う。田園地帯なので、登下校時には、田んぼをクロスカントリーで滑っていく。道路を歩いていくと違って、ショートカットなので速く着く。雪が硬めだと、時間をかなり短縮できる。

 スキー好きにとって絶好な町が、愛別だった。小学校の真裏が町営スキー場なのだ。むろん、体育の科目にスキーがある。リフトなんかないが、張ってあるロープをつかんで登っていく。放課後も日が暮れるまで滑られる。北海道の日没は4時位だからせいぜい1時間だけど。そんな雪の中での生活をしていると、スキーが上手くなる。が、ちゃんとしたコーチがいるわけでなく、転ばないテクニックだけは身につくスキーなのだ。スキーの検定、バッジテストというのがある。1級にチャレンジしたのだが、北海道では、フォームが荒っぽく、不合格。合格したのは大学時代。黒姫スキー場で、だった。やはり、「内地」より、検定のレベルはかなり高かったということだろうか。

 そんな楽しい冬が終わりに近づくと、一番苦手な季節になる。完全に雪融けが済むまで、道路は水浸しになるし、スキーなんかできないし、昔は馬そりが走っていたので、繊維質の馬糞が目立つようになり、乾くと風で舞うので、いいことがない。女の子は蕗の薹なんか摘んで遊んでいたが、われわれにとっては、苦痛の春でしかなかった。桜のつぼみが大きくなる時期になって、ようやく本格的な春がやってくる。あと1か月はかかる。

(「かの雪国」にも、は~るよ、こい。もっとは~やく、こい)

(ホテル椿山荘をバックに神田川の桜 3月28日撮影)

(おまけ)

 一昨日(3月28日)の天声人語で、こうあった。

 「北海道に生まれ育った作家伊藤整に『雪解』の詩があり、幼い頃の思い出がつづられている。〈雪が無くなつて あゝ なんといふ 懐かしい 乾いた街の土だらう〉。何カ月も真っ白な世界に過ごしたからこそ生まれる感慨なのだろう。〈いやになつてしまつた長い間の雪も 消えて そのあとから土が乾いた日の夕がたに みんなで 一歩二歩して遊ばう〉」と。

 「一歩二歩遊び」? 筆者が調べても、分からないらしい。私もその言葉は、記憶にない。が、雪融け時期にあちこちに土が見え始めまだらになる。その土を「ケンケン・パ」と飛んで遊んでいたことがあるのだが、おそらく、そのことだろうか。

ヘッダー画像:(星野リゾートのサイトから)https://www.hoshinoresorts.com/


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