「内気な私はもうおしまい」【徒然文】八〇〇字
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米国大統領選まで二か月を切り、候補者の看板が庭先に立っている映像を見かけるようになった。堂々と意思を表明している。日本でも政治家のポスターを壁に貼ってあるのを目にすることもあるけれど、ごくごく一部。
英国ではパブあたりで気軽に政治の話をするという話を、聞く。EU離脱の是非を問う国民投票のときは、かなり激しかったようだ。
昨年行ったマンハッタンでのこと。南西部にあるハイラインという鉄道高架跡に建設された遊歩道を散策していると、アートなのだろう、大統領が囚人服を着せられて刑務所に収監されている姿がビルの窓に描かれていた。
欧米では政治が普通に暮らしのなかにある。が、反して日本では、政治の話はご法度、という雰囲気。居酒屋あたりで政治を議論するシーンはほとんど見かけない。一国のリーダーの屈辱的な姿を描くアートも、あり得ない。
フェースブックでも、政治的テーマのグループは別だけど、お友達の場で政治の話をアップすると、「いいね」が少なくなる。たまに政治の話題が投稿されても、意見の書き込みは削除しますなんてひとも、見かける。
なぜなのだろう。推測するに、政治の話は人間関係に「しこり」を残す、「分断」を生むと考えるひとが多いようだ。確かに人によっては、議論すると熱くなり、自分と同じ意見でなければ聞こうともしない、ひともいる。そもそも日本では、欧米と違って「ディベート」の訓練がほとんどない。議論に慣れていないし、議論下手が多いせいかなと、思う。
そんな日本人でも、全米オープンの大坂なおみの行動には感動したひとも少なくないはず。「人権」の問題ということではあるが、「政治」問題でもある。アスリートである前に、一人の人間、黒人の女性としてきちんと主張した姿を評価したように思う。決勝まで七枚のマスクを作って、その全員を弔う想いが、逆転で優勝させたと思う。その姿勢に精神的にも大きな成長を見たような、気がする。