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匂い【エッセイ】一二〇〇字
「タダシ(父の名)は父親似でな、乱暴もんでさぁ~。怖かったぁ~」と、正の母親である祖母がよく口にしていた、らしい。その通りに父は、(尋常)小学校に入る前から近所の子らと殴り合いの喧嘩をする毎日だったと、小学に入る前、蒲団の中で自慢げに話してくれた。しかしそれは、長男を溺愛する祖母の封建性に対する反発でもあった。次男である彼は、16歳で家を飛出し少年兵として海軍に入隊することになる。海軍は、伝統のスパルタ教育。その粗暴さはバイタリティーに代わり、「戦中」を生き抜いてこられたのかもしれない。であるが故に、「我」がこの世に存在する。しかし、終戦が遅れていたら、人間魚雷として戦死していただろうと、これも、蒲団の中で父は話してくれた。
が、その粗暴さは、子どもだけでなく母にも向けられた。そんな父を見て、中学のころから、「オヤジを反面教師として生きてやる」と、母を困らせることになる。
そんな父と私だが、五歳前後のころは、父にべったりの子であった。『北の国から』の舞台、富良野の麓郷にいた昭和三十年ころの、話。
父と、二つ違いの弟との三人で富良野にある映画館に行った帰りのこと。麓郷へは駅前からバスに乗るのだが、なぜか弟と私の二人だけがバスの中にいた。急にバスが動き始める。私は、大声で泣き出した。「お父ちゃんが乗っていないよーー。お父ちゃんがーーー」と。すると、ロータリーを一周しただけで、バスは停まり、まもなく父が乗ってきた。泣き続けていたのだが、「泣くな。バカヤロ」と、頭を軽く叩かれた。待機所に停まっていたバスに、子ふたりを乗せ、買い物していたのだ。弟はと言えば、キョトンとして、ちょこんと座っていたのだった。
昭和三十年ころ。わが家にむろん、テレビはない。茶の間で横になってラジオを聴くのが食後の風景。横になると腸の動きが活発になるのか、ある生理現象が毎度のことになる。
父は、私の方に尻を向けて気体を放つ。そして手招きをする。すると、犬のように速足で這って行き、その部分に鼻を押し付けて、クンクンとやる。恍惚した表情で、こう言っていたらしい。「あ~~、いい匂いだなあ。クンクンクンクン」、と。
我思う。ひとのオナラは、やはり臭い。異臭である。しかし、自分の放った気体は香水とは言わないが、それなりに愛着を感じる匂い。やはり、紛れもない親子であった。子に恵まれなかったワタクシだが、そんな子が欲しかった———。
余談になる。祖母が父のことを怖がっていた、と冒頭に書いたが、その祖母はというと、こんなひとでもあった。ある日、ボタ餅を食べることになった。すると祖母は、ごはん茶碗にもち米を盛り、その上にアンコをかけて、「ボタ餅だ、喰え。腹に入れば同じだ」と、出したらしい。やはり、親子だ。
TOP画像:French Bulldog Life
(おまけ)
「おまけ」なんて大変失礼でありますが、ハン・ガン(韓江)さんの<ノーベル文学賞受賞スピーチ全文>です。
文学を読むこと、書くことは、「生を破壊する全ての行為に真っ向から対立するということ」。まったくその通りと思いました。
※
私は8歳のあの日のことを今でも覚えています。
午後のそろばん教室を終えて外に出たとき、突然の、土砂降りに見舞われました。雨は非常に激しく、20人以上の子どもたちが建物の軒下に集まりました。
通りの向かい側にも同じような建物があり、そこにも小さな人だかりを見ることができました。まるで鏡をのぞいているようでした。
降りしきる雨を見つめながら、腕やふくらはぎに湿り気を感じつつ、私は突然理解しました。
私と肩を寄せ合いながら立っているこの人たちも、通りの向こう側の人たちも、一人一人が独自の「私」として生きているということです。
それぞれが、私と同じようにこの雨を見つめ、顔に湿り気を感じているのです。数多くの一人称による視点を経験した驚きの瞬間でした。
読書と執筆に費やしてきた長い年月を振り返ると、私はこの驚きの瞬間を何度も追体験してきました。
言葉の糸をたどりつつ他者の心の奥深くに入り込み、もう一つの内面に出会うという体験です。
最も重要で切迫した問いを受けとめて、それをその糸に託し、それを他者に届けるのです。
私は子どもの頃から、なぜ私たちは生まれるのか、なぜ苦しみや愛が存在するのか、知りたいと思ってきました。
この問いは何千年もの間、文学によって問われ続け、今でも問い続けられています。
この世界における私たちの短い滞在にはどんな意味があるのでしょうか。何が起ころうと人間であり続けることはどれほど難しいのでしょうか。
最も暗い夜においても、私たちが何者であるのかを問う言葉があります。それは、この惑星に住む人々や生き物たちの一人称の視点の中に入り込むように想像するよう促す言葉であり、私たちを互いに結びつけるものです。
この言葉を扱う文学は必然的に、ある種の体温を持っています。
文学を読み、書くという営みは、同じく必然的に、生を破壊する全ての行為に真っ向から対立するということです。この文学賞を受賞する意味を、暴力に真っ向から立ち向かう皆さんと分かち合いたいと思います。ありがとうございました。
(著作権ⓒノーベル財団、2024年)
「東京新聞」デジタル版2024年12月12日 06時00分