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手袋とショール【エッセイ】八〇〇字
5年前と3年前の二度書いた下記のストーリーを草稿にして、「匂い」コンテストに応募します。
その日、空知はドカ雪だった。半世紀前の十二月初め、北海道でも稀に見る大雪だった。
早朝。母、テルは、急性劇症B型肝炎で五十年の人生を終えた。
東京の大学一年の時。滝川の市立病院に入院してから、二週間ほどだった。持病があり、何度も入退院を繰り返していたので、「今回も…」と、信じていた。
入院の知らせが届いたのは、バイト先だった。バイトしていた同期の公子にも、伝えた。すると、「お母さんにショールを編んでいるの。早く仕上げて送ろうかな」と、言った。
その日の前日、危篤の電報が。急いで羽田に向かった。彼女も一緒に来てくれ、ゲートを通る際に、「気を確かにね、行ってらっしゃい」と、白いミトンの手袋を渡してくれた。
病室には、母の姉妹たちがベッドの周りに集まっていた。黄疸がひどく、意識がない。母の肩には、白いショールが巻かれていた。
「すごく喜んでたよ。マサ坊のお嫁さんになるかもしれない人が編んでくれたって」と、フサヱ伯母さんが微笑みながら教えてくれた。
葬儀の日、疲れ切った私はぼんやりとその手袋を見つめていた。母は、亡くなる前夜、幻聴に苦しんでいたのだろう。「あの声、やめてえ。あの唸り声」と何度も叫んだ。母の耳を塞ぐために手袋をはめ、ショールに顔をうずめた。母と公子の匂いが、混ざり合っていた。
母もよくミトンの手袋を編んでくれた。しかし、いつも五本指の手袋がいいと言って困らせた。雪合戦の時に、握りやすくて投げやすいからと。だけど、母の耳を塞ぐ時、ミトンのほうが、ずっといいと、思った。
すべてが終わり、雪も止んだ頃、東京に戻った。羽田で公子が待っていてくれた。
彼女に言った。「ショール、持たせたよ。喜んでくれていたみたいだから」「うん」と、彼女は頷いた。黙って歩き、ミトンの片方の手袋の中で手をつなぎ、私はつぶやいた。
「やっぱり、五本指の手袋より、このほうがいいね」
※
コンテストは、第40回「香・大賞」(締め切り:2024年11月30日)。テーマは、「香り」です。
タイトルは、「手袋とショール」にしました。母との最期の日のことなのですが、応募原稿が到着するであろう時期が、偶然、母の命日近辺になります。
応募時には、本ページは削除させていただきます。
TOP画像:https://www.creema.jp/item/13105981/detail
(おまけ1)
高市さんとの決戦投票のときのあの逆転。画面を疑いました。野党のほとんどは、高市さんの勝利「に」期待していたと思います。野田さんが党首になり、自民党から流れる中道保守票の受け皿になれると思ったでしょうから。しかし、この私でも、自民党の中で(防衛問題以外の多くは)認める政治家の一人が石破さん。しかも、「国葬」に反対し、アベ何某を「国賊」とまで言い放った(とされる)村上誠一郎さん(立憲・岡田克也氏の義兄)を(高市さんが固辞することを想定済みで)総務大臣にした。こりゃ、「立憲、大苦戦!」と思いきや。しかし、しかしです。自民の根強い「右翼思想」の悪臭、いや悪習には勝てないようです。それは、また後日に。^^ きょうは、例によって、「怖いおばさま」のご意見をば。^^
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(おまけ2)
いま三紙(朝日新聞、毎日新聞、東京新聞)を購読しているのですが、この鎌田慧さんのコラムと同じことを考えました。
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その東京新聞の記事がこれです。
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全てのメディアが、袴田さんを犯人と決めつけた。その責任は大きかったと思う。しかし、謝罪したのが一紙だけというのは、あまりにもなさけない。