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砂【エッセイ】六〇〇字
早大オープンカレッジの「エッセイ教室」。夏講座の3回目のお題が、「砂」。今度は、砂・・・。またまた暗くなりそうだ・・・。どうして、そんなお題ばかり、思いつくのだろうか。やはり、師匠はSだ。ワタクシは、悶絶するM状態だ。
※
卒業メッセージのことで、担任が宣うた。「お前、『嗚呼』の意味がわかっているのか」と。その2字を書いただけだったのだ。半世紀前の北海道・滝川の高校でのことである。
中学時代は、学年4学級の小さな町立だが、充実していた。成績は3番以内。野球部のエースで3番。意気揚々と、地域一番の進学校に入学。誘われていた野球部にも、入った。
しかし、猛練習に、体力も成績も落ちていった(この頃、病に侵されていたのだろう)。
1年の夏のある日。野球の厳しい師であった父に、「草野球なら十分に通用する。野球は諦め、北大に行け。お前なら、受かる」と、説得されたのだった。珍しく穏やかな声で。
退部後、演劇部に入った。芝居も楽しかった。下がった成績も徐々に、回復していた。だが、2年の冬。結核判定が、下された。
結核は、すでにストマイとパスという特効薬があり、不治の病ではなく、贅沢病とさえ言われた。ひたすら、「寝て・喰え」だった。
ただ、半年の入院と自宅療養で、留年とあいなる。科目数が多い北大から、東京の私立に鞍替えたが、見事、失敗。気は、部活の延長の、俳優座養成所があったのだが、卒業前に、桐朋学園の演劇専攻に変わっていた。学費は高額。親には言いづらく、表向き、進学することにして、札幌で下宿することになる。
そんな時期の、「ふた文字」だったのだ。