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リーダー【徒然文】

 独立前、会社勤めしているとき、こんなことをいった、聞いたことがある。
 「あの部長は、あの課長は、上にいい顔してばかり! 部下のことなんか考えていない。自分の出世だけ」、と(いたよね、いるよね)。

 同じようなことが、何某かの国でも行われていた(いる)。いつぞやの流行語大賞のひとつに、「忖度」という言葉が選ばれた。自分の身に、出世に軸足をおき、ある一国のリーダーから蔑ろにされることを恐れ、曲げてはならない貴重な情報を改ざんし、廃棄する国。そんなことが繰り返されてきた国が、どこかにあった(ある)。そんな国が、今、最大の困難に直面している。
 これまでウソで塗り固められ、姑息なやりかたをやり続けてきたリーダーが、そのとりまきが、この「国難」のときに国民の命を優先する、的確な対策をうつことができるのだろうか。さすがに直接的に命に関わるような事態になって、「また、隠していないだろか」と、不信感をもち始める、国民もいる。(だから、公文書の改ざんや廃棄、情報の隠蔽は、あってはならない。許してはいけないのだけど)
 うがった見方というひとがいるが、こんな疑念を抱くひともいる。
 「PCR検査数が他国に比べて、なぜ極端に少ないのか」
 「2020の大イベントの延期が決まってから、なぜ感染者数が増え始めたのか」
 「肺炎死亡者へのPCR検査数が、なぜ少ないのか」
 「感染症対策専門家会議の議事録も、なぜ公開されていないのか」
などなどなど、書ききれない。
 情報を隠蔽することなく、公明正大に政(まつりごと)をつかさどってきたリーダーのもとなら、こんな、「うがった見方」をするひとはでてこないだろう。

 が、しばらくは、従うしか、術はない。

 多くの日本人は、3.11のときのように、自粛、ジシュク、と、整然と足並みをそろえ、国全体がまとまることができる、と海外から評価もされてきたが、反面、「横並び」が得意な日本人といういい方もできる。ひとと違うことができない、他人の目を気にする国民性でもある。自分を失い、思考停止、考えようとしない状態に陥りやすい国民性ともいえる。
 なので、多くの国民は、法的強制力がなくても、自粛するだろう。

 世論調査のたびに、このような回答が、けっこうある。
 「いまのリーダーがいいとは思わない。だが、他に誰かいるか?」、と。
 が、もし、「あの方」以外に、誰もいないとすれば、
「必ずしもヨシとしないひとが、憲政史上最長のリーダーである国って、どうなんだろう?」と、「自粛の時期」だからこそ、じっくり考えてしまう。

 誰かの作文を、プロンプターを見ながら語るのではなく、自分の言葉で、国民に真正面に向かって、心の中からでてきた言葉で、情熱をもって説得できるようなひとが、リーダーであってほしい。

 緊急事態宣言の会見。記者会見だから、記者たちを見ながら話せばよいということか。国民に向かって、熱く話すべき。カメラ目線で、正面を向いて。(なにか後ろめたいことでもあるのかしらん。緊急事態の会見なのだから、時間制限なく、国民にアピールしたらどうなのか、と思ってしまう)
 都のリーダーの会見も見た。「ステイ ホーム」という言葉に、あの方の、いつかのパフォーマンスを見たような気がした(「都民ファーストの会」でのパフォーマンスだ)。ひっ迫感が、まったく感じない。「国は、非常事態宣言を出せ、出せ」というだけ。遅きに失した自分の施策を棚上げし、転嫁していた。
 片や、都庁から破綻の夕張市に送られ、市長を薄給で二期務め、北海道知事になった、苦労人の39歳の鈴木氏というひともいる。彼は、早々に対策を打った。結果、東京よりも多かった感染者数(おおいに違和感があったが)にも関わらず、今、落ちつつきある。(なので、油断せずに、対策を続けてほしい)

 「シャンパンタワー」の泡とともに消えた夢ではなく、日本の将来を熱く語るリーダーを、探したい、時間がかかろうとも。でなければ、わたしたちは、あまりにも可哀そうすぎる、のじゃないかな。

(余談)
 昨今飲み屋に出かけるかわりに映画鑑賞でもと、長らくごぶさただったトム・ハンクスの未鑑賞作品を、借りた。幸せにも、10以上あった。たまたま、昨夜観たのは『インフェルノ』。人口爆発問題を解決するために、ウィルスをまき散らすことで抑制しようとする企てを阻止する内容。今なじみのWHOも絡み、しかも、舞台は、イタリア。

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