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こころざし(その3の3の2)「出会い」篇【エッセイ】一六〇〇字

<春風や闘志いだきて丘に立つ> 高浜虚子
あくまでも、「丘」。「山」ではなく。創業当初、こんな心持ちだった。
 
                 ※
 事務所のドアの前の壁に背をもたれ、坊主頭で、青虫のような顔をした長身の男が座っていた。漫画週刊誌を読みながら。
瞬間、「あ”! きょう、面接だった!」と、声が出た。

 97年の春、46歳で創業。ミレニアム年の5月。伊勢丹から月30万円くらいのWEBデザインの依頼が入り始めていた。さっそくバイトを2名、募集を開始。最初に決めたのが母校の教育学部を出て間もない女子。なかなかキュートな感じの子だった。ふたり目を決めるまでは事務所に、その子と二人っきり。さすがに辞退されるかと思っていたが受け入れてくれた。初出勤日、13時にあと一人の面接を予定していたのだった。初日だったので、彼女と昼食で外出していたのだが、すっかり忘れており戻ったのが14時少し前。1時間以上もドアの前で待っていたようだった。
 平謝りし、面接を始めた。
 多摩美のガラス工芸を卒業したばかりで、デッサンには自信があると言う。名は、大隅おおすみ。静かな雰囲気の男で好感をもった。即決しようと日程を調整していたとき、彼が言った。「ぜひ、やらせてほしいのですけど、ここのパソコンはWindowsですよね。僕、Macなんですけど・・・」と。
 Macを買う余裕など、ない。はたと困った。
 「そのうちMacを買うので・・・、じゃあ、とりあえずは自宅でやってもらって、といことではどうだろうか」
 彼は、伊勢丹の広告のデザインが好きなようで、決まった。
 その1週間後。彼女が、アメリカに1週間行きたいので休ませてほしいと言ってきた。ディズニーファンで、カリフォルニアに行くと言う。「それと・・・、旅費を前借りしたいのですが・・・」との申し出。6日後に納品が終われば、次の仕事のあてもないので、両方とも承諾した。
 休みの前日、10万円と、餞別として3万円を渡した。
 翌日、メールがきた。「辞めさせて欲しい」と。
 「それはねぇべやあ~(と北海道弁だったかどうかは記憶にないが)」と、つぶやいたのだった。
 しかし、悪いことは続かないものだ。まさにその日。伊勢丹から150万円の発注があったのだ。

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<事務所から見えた新宿御苑大木戸門入口>

 目ん玉が飛び出るほどの金額。しかし、納期がタイト。40ページくらいを3日で仕上げなければならない。むろん、二つ返事でお受けし、あわててMacを購入することにする。そして、大隅くんにすぐにでも事務所に来るように依頼した。
 彼は日中、まだ他のバイトもやっているので、夜なら事務所で作業ができると言う。3日の徹夜を覚悟した。
 1日目。久しぶりの徹夜だったが、50を前にした中年にしても、まだ体力があった。私が画像の補正を担当し、彼がデザインするという流れ作業。朝になり、彼はそのまま、バイト先に向かった。そして、夕方、事務所に戻るというハードさ。さすがに2日目の夜、ふたりともウトウトしかける。コンビニからリポビタンDを箱買いし、飲みながら、声をかけ合いながら、続ける。彼は眠気覚ましに漫画週刊誌を読む。そして作業を続ける。外を散歩し、続ける。そんなことの繰り返し。
 「菊地さん、天皇陛下をどう思いますか?」「いまの政治どう思います?」なんて、唐突に口にする。「なんで?」と聞くが、「いいえ、なんとなく」というような意味のない会話が続く(後年わかるのだが、彼は、政治にはまったくの無関心人間・・・)。
 3日目には、その会話もなくなった。もくもくと単純作業を繰り返し、翌朝、終わった。
 のちに、10年目には日商70万円の事業計画を立てることになるのだが、その2日分。しかし、記帳された金額を、いまでも鮮やかに憶えている。そして、その大隅くんは、20名のデザイナーのチーフとして、貢献してくれることになる。
 そう、あの日、彼が1時間待ってくれなければ、会社が成功したかどうか・・・。人生って、不思議なものだね。

(付録)
いま彼は、酒と器の取材情報・販売サイトと酒器ショップ(場所は、新宿御苑)の代表をやっている。

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この『こころざし』は、シリーズものです。


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