ドン・キホーテ、野に放たれたオーケストラ——アミーキティア管弦楽団10周年記念コンサートプログラムノート
本日は、アミーキティア管弦楽団10周年記念コンサートに足をお運びくださり、誠にありがとうございます。本公演は、これまで数々の町や地域を訪れ、学校、商店街、酒蔵等で様々なワークショップやコンサートを実施したきた僕たちアミーキティア管弦楽団が、10周年の節目にもう一度ホールへ戻り、これまでの活動について皆様に報告と感謝の気持ちを伝えるものです。ここでは楽団の10年を振り返り、その中で本日の演奏曲目を紹介することでもって、今回のプログラムノートに代えたいと思います。
活動を振り返って
僕が大学でオーケストラを始めた2010年前後とは、「文化や芸術を社会で支える意味」を多くの人々が改めて考え出した時期でした。2015年2月3日、アミーキティア管弦楽団は友人たちとクラシック音楽を楽しむために活動を始めました。他方で、当時の社会の空気を僕も感じ取る中で、人や社会とオーケストラの関係の在り方や、そもそも僕たちにとって音楽や文化とは何なのかを自分なりに考えてみたい、と思いました。そこでコンセプトにこだわるホール公演をいくつか企画した後、より多くのヒントを求めて様々な地域を訪れることにしました。
最初に僕の音楽観を決定的に変えたのは、2017年、大阪市西成区で活動する「釜ヶ崎芸術大学」との出会いです。釜ヶ崎という地域の歴史や文脈にあわせてJ. シュトラウス二世「美しく青きドナウ」(1867年)を選ぶ中で、ある場所である曲を演奏することの意味を深く考える機会になりました。また、釜ヶ崎芸術大学の合唱歌をオーケストラ編曲で演奏した際には、人々が歌いたいように歌い、そこに音楽を重ねていく体験に新鮮さを覚えました。この時、「演奏した」というよりもむしろ「楽しい時間を共に過ごした」という感覚が立ち現れ、オーケストラにもこういう人との関わり方ができるのだと思えました。
釜ヶ崎芸術大学の自由な空気はその後、即興で俳句と楽譜を作りその場で朗読・演奏するワークショップ「合作俳句×合作楽譜」(2021年)、M. ラヴェル「ボレロ」(1928年)に合わせて連歌を詠み盆踊りを踊るパフォーマンス「新解釈ボレロ!- きょうもいちにち -」(2022年)につながります。このパフォーマンスでは「ボレロ」の主題を演奏する楽器を乱数プログラムが指定する演出を始め、いくつかの創作を試みました。こうした即興や創作によって僕たちオーケストラが人々と関わることの幅がぐっと広がりました。
京都市右京区京北地域は、京都駅からバスで1時間半のところにある中山間地域です。ここで2019年に開始した「うたと未来コンサート」では、合同演奏する地域の中高生とオーケストラの演奏者が、将来の暮らしや仕事、生き方について一緒に話し合うワークショップを開催してきました。アマチュアオーケストラとは、日頃は様々な職業や役割を担い、人生を歩んできた人が音楽を通して集まる集団であり、僕はこの何気ない事実がとてもすごいことだと思っています。そして、日々の暮らしと音楽を両立する演奏者の姿は若者たちにとって一つのロールモデルとも言えます。演奏者や中高生が一人ひとりその人生観を素朴に交換し合う様子は大変豊かな光景でした。またコンサート本番では、そうしたワークショップで交流した人々による合奏であるからこそ生まれた音楽があると感じました。この取組は現在、兵庫県洲本市(淡路島)で同市教育委員会と連携する形で継続しています。
兵庫県丹波市で1716年から続く山名酒造とは、酒文化を表現するオーケストラ作品「丹州蔵人之譜 - Kurando no Fu -」(丸谷雪作曲)を共同で制作し、2023年に開催された蔵開きにて初演を行いました。本日は同作品の再演、そしてホールでの初演奏となります。この作品は、蔵元、作曲家、そして楽団メンバーが月1回集まり、米作り、酒造り、丹波地域について言葉を交わし合い、それを音楽にするプロセスを経て生まれたものです。蔵開き公演では、酒の歴史とクラシック音楽の歴史が様々な形で重なることが分かるように演目を選曲しました。酒もクラシック音楽も、時代により形を変えつつ文化として人から人へ受け継がれてきたものです。その文化は、音楽であればアマチュアのような数多の市井人に担われてきました。この公演は選曲や創作を通して、酒とクラシック音楽が互いの文化に出会う素晴らしいきっかけとなりました。
こうして10年の間、僕たちは、人や人が暮らす地域の歴史、生活、記憶、文化にある文脈と、オーケストラ自身にある文脈が重なるところで曲を選び、あるいは即興や創作の場を開いてきました。その過程で身に着けたのは「オーケストラが人々と関わろうとする態度や振る舞い」そのもので、そこに人や社会とオーケストラの新しい関係性が生まれる予感がしています。温もりあるオーケストラに10年かけて少しずつ近づいてこれたこと、これまでの演奏者、お客様、各地域の皆様、すべての方々に改めて感謝を申し上げたいと思います。
作品の紹介
本日は、これまで各地で演奏した作品からプログラムを構成しています。最初にお届けするのは、F. スッペが作曲した、喜歌劇『軽騎兵』序曲(1866年)です。この作品は、釜ヶ崎芸術大学、京都市右京区京北地域、洲本市で演奏してきました。当初はフルオーケストラを配置できない企画で1管編成に編曲する際の都合で選ばれたものが、いつの間にか長く親しまれる作品となりました。公演の冒頭を飾るにふさわしい華々しいファンファーレから始まり、短い曲ながらに様々な情景が表現されているこの作品は、クラシック音楽ファンに愛され続けています。
ところで、この喜歌劇は、残念ながら今日では台本が残っておらず詳細が分かっていません。それをよいことに、本日に限りひとつ連想を許されたいと思います。それはこの音楽がまさに騎士の凱旋であるように聞こえることです。
M. セルバンテス『ドン・キホーテ』(1605年)とは、騎士道物語を読みすぎて現実と物語の区別がつかなくなった主人公が、自らを騎士「ドン・キホーテ・ラ・マンチャ」と信じ込み冒険の旅に出る物語です。僕はこの10年を振り返るにつけ、「人はドン・キホーテになることでできることがある」と強く感じます。これまでの取組は、成功するかどうか、どんな結果を生むのか、事前には想定できないものばかりでした。時には極寒の暴風雨、炎天下の直射日光、膝上まで積もる大雪の町にオーケストラを連れだしたこともあります。きっとこれが面白いに違いないと突き進む様子は、ある種の狂気かもしれません。決して無頼を自慢するつもりはないのですが、何かにさいなまれ、突き動かされていてこそ実現できることがあると思うのです。そして誤解を恐れずに言えば、狂気の産物を人と分かち合うことは、芸術をする者にとってこの上ない喜びです。ただ、実際のドン・キホーテのようにはまだ死ぬわけにいかないので、今回は身軽な「騎士」としてホールに戻ってくることにしました。
そしてドン・キホーテがそうだったように、ついて来てくれる仲間がいることが大事です。僕がどんな企画を持ち込もうと、実現可能な内容に軌道修正し、地道にリハーサルを重ねて演奏の完成度を上げてくれる指揮者やコンサートマスターによって、活動の音楽的な部分が担保されることでこの楽団は成り立ってきました。あるいは、個々のできることを柔軟に組み合わせて作業を進める事務局の形が、毎回の新しい試みを可能にしてきました。楽団の歴史を僕の一人称だけで語ることは好ましくありません。
次にお届けする作品は、丸谷雪作曲「丹州蔵人之譜 - Kurando no Fu -」(2020年)です。この曲は「米作り」「酒造り」「宴」の3楽章構成となっています。丹波の風土と稲作の様子が描かれたのどかな第1楽章、労働歌である酒造りの歌がオマージュされた職人風景の第2楽章、そして人々が手に手に酒を持ち呑み交わす幸福な第3楽章。作り手の想いを想像しながらお聴きいただければ幸いです。
そして最後に、本公演のメインプログラムとして、P. I. チャイコフスキーが作曲した交響曲第5番(1888年)をお届けします。これはアミーキティア管弦楽団が第1回演奏会(2016年)で同じくメインプログラムとして演奏した作品でもあります。思い出せば10年前、楽団設立趣旨の文章にはこう書いていました。「忙しくても、離れていても、いつでもまた同じ音楽のもとに集まれる場を作りたい」。この上なく青い言葉ですが、実際に本公演では、かつて出演した多くの演奏者が久しぶりに参加してくれています。他方でこの10年、毎回新しい演奏者と出会い、そのたびに輪を広げてきました。実人数にして本公演で合計486名となります。年齢も地域も人生経験も異なるこれだけの演奏者とこれまで活動を続け、そして本日もこうして演奏をお届けできることの喜びと感謝について、どう言葉にすれば十分なのか僕には本当に分かりません。
2018年から僕を支えてくれているひとりである指揮者の髙倉奏喜が、ある日のリハーサルでこの交響曲第5番についてこう語りました——この曲では「自分を翻弄しようとする何か」と「それに打ち勝とうとする意志」が常に対立し闘っている。しかし4楽章の最後において、その闘いは明確に決着せずこの曲が終わっていると解釈できる。むしろ闘いはこれからだといわんばかりに。それをここでは、「この楽団もまたこれからも続くのだ」ということと重ねたい——。
この先の出会いを楽しみに。本日はどうぞ最後までごゆっくりお楽しみください。
常盤成紀(アミーキティア管弦楽団主宰)
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