すべては〈相対論〉であって、〈絶対論〉ではない。
「〇〇が一番すごい!」「俺はお前より上だ!」
「それは違う!」「普通こうするでしょ!」
こういった言葉を聞いて、おじけづいてしまったことは、ないだろうか?
安心してほしい。どれもこれも、気にすることはないのだ。
そもそもとして、それらの言葉は、いったい何を基準にしているのだろうか?
多くの場合、言っている本人が、言われたあなたよりも上の立場になるように、主張しているのではないのではなかろうか?
たとえば、ぼくはよく"オトナ"に、「俺は人生の先輩だ」とか言われて怒られている。
そのたびに、ぼくはおじけづいてしまう。
だが、よくよく考えてみると、単に僕よりも"オトナ"のほうが、長くこの世界に存在していただけなのだ。
そして、「年齢」を基準にしたときに、自分のほうが僕よりも上だから、"オトナが"上の立場になった感じになっているのだ。
なにも、エラくないぜ、"オトナ"よ。
もっと例を挙げてみよう。
学者だったら、「頭脳活動してないやつはゴミ!」とかになるし、工事現場で働いている人にしてみれば、「肉体労働して世界に価値を生み出すことこそが生きることであり、考えやアイディアになにも価値はない」とか言ってくるかもしれない。
どれもこれも、「自分」が基準になっている。
すべては、「自分」を基準にしているだけだ。
そして、それは自分だけでなく、世界みんなが「自分」を基準にしてしまっている。
もちろん、ぼくも無意識レベルで、自分が基準になって物事を判断してしまっている。
それは、相手の信念や価値観なんて、外から分かるようなものではないからだ。
よって、自分を基準にして考えるしか、ないのである。
で、そうなってくると、Twitterで批判している人がなぜいるのかも、説明がつく。
そう、自分の〈勝手な〉判断が基準になってしまっているので、相手を許容できなくなっているのだ。
ハッキリ言って、相手がどう思っているのかだったり、どう行動しているのか・どう考えているのか、といった相手の内面なんて、知ってもいないのに。
(←というぼくも、その批判している人のことを考えずに言ってしまっているという意味では、Twitterで人のことを批判している人となにも変わらない)
では、どうすれば、相手を自分勝手な判断をして批判してしまわないようにできるか。
これは、相手の意見や価値観を、直接聞くしかない。
これによって、価値観をすべて相対化するのだ。
すると、そもそも優劣なんてなくて、みんなそれぞれ、ということが分かる。
とにかく、今回言いたかったことは、
上っ面の情報や行動だけで人を批判するな。その人にはその人なりの考えや行動があるのだから。べつに人がどうしたって、いいだろ。
価値観や考え、行動といった自己は、相対論であって、なにか、唯一解があるような、絶対論ではない。