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実は事故原発だけではない「廃炉」の不明瞭さ

今日、一番伝えたいことは、タイトルの通り。忙しい方は目次から、「事故原発だけではない「廃止措置」の不明瞭さ」に飛んでください。


燃料デブリ試験的取り出し再開、着手

東京電力は9月9日(月)、中断した福島第一原発2号機の燃料デブリ試験的取り出しについて「明日(10日)再開する」と発表した。土日(7〜8日)に間違っていた「押し込みパイプ」の順番を入れ替えたという。

福島第一原子力発電所 2号機燃料デブリ試験的取り出し作業開始に向けた押し込みパイプ復旧作業の完了(2024年9月9日東京電力) 撮影日:2024年9月8日

9月10日、「テレスコ式装置の先端治具が隔離弁を通過」した「廃炉の貫徹に向け、安全を最優先に緊張感を持って取り組んでまいります」とリリース。これで、燃料デブリ試験的取り出しに着手したことになった。

原子力資料情報室「意味はあるのか」

これに対して、NPO法人「原子力資料情報室」は福島第一原発2号機デブリサンプル採取に意味はあるのか」と声明を出した。「8兆円と見積もられている廃止措置費用は、デブリ取り出しまでの費用であり」、「廃棄物処分費の積み立ても考えなければならない」と取り出し後の処理と費用の課題を指摘している。

山中委員長「多くの情報は得られない」

一方、山中伸介・原子力規制委員長も、9月11日の会見で記者に問われて、デブリは「取り出せて、分析できて、小さな一歩が踏み出せたと言える。まだテレスコがゲート(隔離弁)を越えて進入しただけで、何かを言える段階ではない」と述べた。また取り出しができても、「全般的なデブリの性状」がわかるわけではなく、「多くの情報は得られない」との見解を示した。

原子力規制委員会会見にて2024年9月11日筆者撮影
(筆者はうっかり今日の会見参加登録をし損ねて、質問できなかった(変なルールがあるのである)が、
それより驚いたのは、テレ朝記者だった吉野さんが、9月2日から原子力規制庁の広報室に転職をしていたこと。会見後、名刺を持って挨拶に来てくれて知った。)

東電社長の行動

9日のリリースには小早川智明社長が遠隔操作室に立つ写真も含まれている。

福島第一原子力発電所 2号機燃料デブリ試験的取り出し作業開始に向けた押し込みパイプ復旧作業の完了 2024年9月9日東京電力資料 (撮影日9月9日)

実は、8月22日の燃料デブリ取り出し着手に失敗した日に小早川社長が不在だった件について、9月5日(木)11時からの会見で、福島第一廃炉推進カンパニー・プレジデント・小野明氏に尋ねたので、以下、記録しておく。

まさの:今回の最大の責任は燃料デブリ取り出しの当日に柏崎市を訪れた社長の緊張感のなさにあるのではないか。
小野氏:社長の緊張感の無さだとは全く思っていない。社長はこのことをよくご存知で、真っ先に私も報告をしましたし、非常に気にされていましたので、私はそんな「緊張感の無さ」なんていう言い方をされましたけど、そんなことは全く思っていません。実際に社長はこの日の夜にこちらに移動して、たしか翌日、1Fに入られる予定になっていたかと思う。

Q:小野さん自身はどちらにいて、この日何をされていたのか?
A:私は前日から1Fというか福島に入っていて、当日は朝から事務本館でこの状況を把握していたことになる。

Q:最初にこれ(取り出し中断)が起きたときの第一印象は?
A:第一印象。一言でいうと、私、事故のあと、ずっと1Fの所長をやっていたりしていますけど、NDFの時代も含めて、燃料デブリの取り出しというのは私にとっては、非常に特殊というか特別な思いがあります。
 これが今になってしまって、もっと早くできなかったかという忸怩たる思いが若干ありますけれども、そういう意味で私の期待感は、ものすごく大きかったものがあって、それが一番初めのところで、立ち止まざるを得ないのは、ある意味、ちょっと残念だなというのが本当のところです。
 ただ、話を聞いてみると、ここで立ち止まれたのは、非常によかった、よかったというか、こういう状況でもしっかり立ち止まってもらえたのは、今後に活きてくるんだろうというふうに、考えています。ですから、そういう意味で、今回のことをしっかり次に繋げていくということが大事かなというふうに思います。

Q社長は廃炉に責任を持つということを柏崎刈羽原発の再稼働のための約束としていますので、だからこそ、なぜその日に、重要な日に、再稼働を意識した行動をとっていたのか、わからないのですが。
A:社長がすべて1Fのエポックな日はいっぱいあると思いますね。そこにすべて社長が1Fの中にいなきゃいけないかということだとは思っていない。そのために私がおりますし、所長の田南がおります。ただ、社長にその時の状況を適宜、報告をして、場合によっては社長からご指示を仰ぐ、場合によったらアドバイスをいただく。そういう意味では社長に目を光らせていただくのは大事だと思いますし、その意味で、今回、柏崎にいらっしゃったかもしれませんけれども、そこのところは、社長としての責任は果たしていたなかと思う。

Q:事前に何か「頑張れ」とか現場への激励みたいなものは社長からありましたでしょうか。
A:「頑張れ」という直接の言葉はないですが、当然ながら「非常に重要な作業だからしっかりやってくれ」ということは適宜、言われていますので、それはしっかり下の者にも伝えていることです。

9月5日(木)11時会見から筆者書き起こし

社長は「柏崎刈羽原発」再稼働を優先

小野氏の言葉から判断するところ、社長にとっては、燃料デブリの試験的取り出しは、特別な日の一つに過ぎなかった。むしろ、柏崎刈羽原発を再稼働させるために柏崎市長と会うことを、作業員らが取り組む過酷な被ばく作業(燃料デブリの試験的取り出し)を見守るより優先させたことになる。

事故原発だけではない「廃止措置」の不明瞭さ

さて、原子力資料情報室が「廃止措置費用は、デブリ取り出しまでの費用」だと指摘した問題と並び立つのは、1Fの「廃炉の定義」がない問題だ。たびたび問われながら(一例はこちら)、答える人間がいない。深刻な問題だ。

しかし、実は、これは過酷事故を起こした原発に限らないと気づいた。

ふぇみんで「原子力規制委員会傍聴日記」を連載させていただいているのだが、9月には「動かせない、日本原子力発電の原発2基」を書いた。東海第二原発と敦賀原発のことだ。その際、日本原子力発電がすでに廃止した原発2基についても調べてみて驚いた。

「東海原発」も「敦賀原発1号機」も「廃止措置」が始まっているものの、高レベル放射性廃棄物の廃棄時期も廃棄場所も未定であることに改めて気づいた。

東海原発の廃炉は不明瞭

東海原発は、1966年に稼働開始、1998年に停止。2035年度までに建屋を解体するスケジュールまでは決まっているが、「廃止措置に係る廃棄物」には高レベル放射性廃棄物は含まれていない。建屋解体まで37年。その後は未定なのだ。

東海発電所の廃止措置に係る廃棄物の量

敦賀原発1号機の廃炉も不明瞭

敦賀原発1号機は1970年に稼働開始、2015年に停止。廃止措置計画は、2017年4月19日に原子力規制委員会から認可された。廃止措置工事のスケジュールとして期間を24年間としているが、そこにも高レベル放射性廃棄物についての記載がない。

敦賀発電所1号機の廃止措置「放射性固体廃棄物の廃棄」

平穏な廃炉でも1基37年、まして1Fの6基は?

東海原発は建屋解体まで37年。その後は未定。
敦賀原発1号機の廃止措置工事は24年間。その後は未定。
平穏に「廃止措置」(廃炉)が始まった原発であっても、たった1基で、24年〜37年。解体までは進むが「トイレなきマンション」状態だ。

まして福島第一原発は、平穏な廃止措置ができる原発が2基。バケモノと化した過酷事故を起こした原発が4基。計6基。どんなに楽観的な人でもそれらの「廃炉」が、その定義がどんなものであれ、30〜40年で終わるとは思わないだろう。

【タイトル写真】

六本木一丁目で咲いていた百日紅(サルスベリ)
2024年9月11日筆者撮影

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