麴菌について基礎的な話を-麴菌①-で触れました。②では麴菌の研究・育種に関わる部分を紹介しますが、その前段として「種麴屋」の話題から紹介します。
種麴
麴を造る際に元となる「種麴」ですが、「もやし」とも呼ばれます。語源としては「萌やす」=「芽を出させる」という意味で、野菜のモヤシと同じ語源なんだそうです。
この種麴は室町時代には既に製造されておりまして、発酵産業に利用する微生物が別に製造され、産業としてその時点で成立していたというのは驚きですよね。
種麴造りが確立されるまでは「友麴法」という、麴の出来のよかった部分を保存しておき、それを次の麴作成時の種とするやり方を用いていました。種麴屋が近隣にない地方においては、種麴法が確立した後も友麴法で麴造りが継続されていたそうです。
種麴屋
この種麴の製造について、全国種麴組合なる組合があるそうで(組合自体のwebサイト等はありません)、種麴屋がどの程度あるか探ってみたところ、以下の文章がありました。
それを受けてWEBサイトを調査し、種麴の製造販売を確認できたのが以下の7軒でした。上記の「全国に6軒、京都に1軒」がこれと一致するかはわかりませんが、数は合いますよね……。
株式会社秋田今野商店
日本醸造工業株式会社
有限会社石黒種麴店
株式会社糀屋三左衛門
株式会社菱六 ※公式オンラインストア
株式会社樋口松之助商店
有限会社河内菌本舗
1963年(昭和34年)に書かれた文章には以下の記載がありました。1954年(昭和29年)・1955年(昭和30年)の統計で約40場、というのが上記とだいたい同じです。
麴座
種麴屋のルーツを辿っていくと、時代は1000年近く遡ります。平安時代から室町時代にかけては、朝廷や幕府から公認された麴座と呼ぶ専門業者だけが麴を製造し、醸造元に卸していました。
麴座とは、麴の製造から販売を担っていた麴屋の同業者組合に相当するもので、麴に関する独占権を巡って京都では騒動が起こりました。
この騒動を経て、麴造り自体は蔵元で行われるようになりましたが、先述のとおり友麴法では品質が安定せず、種麴の製造販売へ転換した麴座の専門業者によって種麴が供給されるようになったようです。今でも種麴については数少ない専門業者が製造販売しているというのは、そのような歴史的背景があるのです。
種麴屋の系譜
種麴屋の中でも最も成立の古い「糀屋三左衛門」のサイトに、現在「黒判もやし」と呼ばれる由来が記載されています。そしてその当主であった村井豊三が1989年に記載した上記文書では、「黒判」の他に「赤判」と呼ばれる2軒の種麴屋が江戸時代にあったと記載されています。
赤判と呼ばれたのは「近江屋吉左衛門(近藤吉左衛門)」で、この他に成立年代が不明なのが「菱屋六左衛門」(=現在の菱六)などで、江戸時代末期には数軒の種麴屋があったとのことです。
糀屋三左衛門現当主によるnote(下記リンク先)には、種麴屋は概ね黒判・赤判の系譜から派生したものと記載していますが、別の文献(近江屋家文書による江戸時代種麴屋業に関する考察(II)【PDF】)によれば「近江屋に奉公し、暖簾分けをされた十人の存在が確認された」「種麴屋として江戸時代に存在が知られている糀屋三左衛門方も菱六方も一子相伝のきまりを堅く守り、暖簾分けを行っていない。」ともありました。
赤判のルーツである近江屋吉左衛門は1960年(昭和35年)に廃業となったそうです。その際に「蘖法伝書」などの古文書が京都府に寄贈され、上記考察のような種麴屋に関する様々な記録の基になっています。
麴菌と鉄着色
さて、麴菌の育種についてですが、専門業者の中では品種改良として行われていますが、酵母に比べると表に見える研究例は多くありません。
この種麴の育種において、清酒製造業界的に一番メジャーなのがDF菌(DF非生産菌)です。
鉄により清酒が着色する、という現象は昔から良く知られており、この原因が麴菌が生産するferrichrome類、deferriferrichrysin(以下DF)によることが明らかになっています。このDF自体は無色ですが、鉄分と結合するとferrichrysinとなり、これが呈色物質として酒の色を変えてしまうのです。
上記報文にあるとおり、麴菌にしてみれば生存戦略のために鉄分を取り込むための手段であるものが、清酒業界にとっては着色原因となるため忌避されるものになっています。
酒の着色については活性炭での除去が行われますが、鉄着色については活性炭で取り除くのが難しいため、清酒製造環境ではとにかく鉄の存在を回避してきました。醸造用水の条件に鉄分が少ないことが前提とされるのも、使用される道具にステンレスやアルミ、樹脂が用いられるのもそのためです。またDFとの作用以外にも着色の触媒となることが知られています。
なお鉄が清酒醸造において着色以外にもさまざまな影響を及ぼし香味の劣化に関与することは、下記報文によると、1929年に江田鎌次郎が報文を出して以来、100年近い歴史があるようですが、一旦はDFの話に留めておきます。
DF菌の開発
清酒環境中における鉄は、使用水の除鉄や、使用機器と鉄の接触を極限まで減らすことで回避することが出来ますが、水の除鉄には手間がかかりますし、ガラスや樹脂でライニングされた貯蔵タンクに傷があると、そこから鉄が溶出するなどの事象もあり、現場から完全に鉄を除くのは困難な場合もあります。ならば前駆体であるDFの方を無くせば良いのでは、という発想で品種改良が試みられました。
1974年には紫外線照射による変異でDF非生産菌が得られたことが原昌道らによって報告され、その後種麴屋からDF非生産菌が発売されるに至っています。
DFの機能性
清酒の製造現場においては厄介者扱いされているDFですが、その機能については実に有用性が高く、50年以上前の報文においてもそのことに触れられています。
月桂冠ではデフェリフェリクリシンの研究により、美容や健康におけるさまざまな機能性について報告しています。月桂冠総合研究所のサイトにまとめられていますので、詳細はそちらをご覧ください。直近ではがん細胞にのみパラトーシスを誘導することまで明らかになっています。米麴およびそれを用いている製品の需要喚起になると良いのですが、そうなるとDF菌の立場がなくなりそうです……。
公設研究機関が開発した麴菌
酵母と併せて地域色のある清酒をという研究の中で、麴菌もオリジナルのものを開発したケースがあります(中には地理的名称の要件となっているものもあります)。酵母と異なり全都道府県は網羅しませんが、一部紹介したいと思います。研究として行っているがまだ成果が出ていない、あるいは菌を獲得したがその後が確認できないという公設研究機関もありまして、それらは割愛しますね。
青森県
「あおもり酒テロワール」として酒米、酵母の他、麴菌についても県産の微生物をということで開発したのが「ゴールドG」という種麴です。
いわゆる「高グルク菌」と呼ばれる、グルコアミラーゼ高生産性菌株と思われますが、元々の由来は「市販の麴菌」とあるので、その素性まで青森県と関係するのかは不明です。
なお、酒粕の褐変という欠点は他の高グルク菌同様に所持しており、その対策(育種)も行われているようです。
岩手県
地理的表示「岩手」において、「オールいわて清酒」を表示する場合は、米及び米こうじが岩手県内で収穫した米、麹菌及び酵母は岩手県内で育種された菌株であることが要件とされています。
単独の菌ではなく、29種の中から選抜した2種の混合使用となっています。
この「黎明平泉」については、大元の菌株は株式会社秋田今野商店や独立行政法人酒類総合研究所からの供与を受けていることから、麴菌の分離元も岩手県の「完全自県産清酒」を目的として、新たに2種の種麴「麴菌紅椿」「麴菌白椿」が獲得されました。
岩手県内の酒造好適米の圃場に発生した「稲麴粒」から、「通俗製麴方要訣」に記載の方法を用いて麴菌を採取し、単離作業と製麴試験を経て2株が選抜されています。気仙地域産のヤブツバキを用いて2株の麴菌の単離が行われたので「椿」の名前を用いたようです。
詳細はこちらにまとめられていますのでご覧ください(↓内の 7月16日(金) 「3 新規オリジナル麹菌の製麹特性の検討」に記載)
吟1061株=「麹菌紅椿」は普通酒~純米酒、No.36株=「麹菌白椿」は吟醸酒~大吟醸酒用としての利用が期待できるとあり、株式会社秋田今野商店より「Oryza1061」「Roots36」として販売されています。
それを受けて、GIオールいわて清酒の要件について、
種麹は「黎明平泉」、「麹菌白椿」、「麹菌紅椿」を用いていること
とされたようです(令和5年10月18日GI岩手スタートアップイベントにおける説明資料、以下のサイトにリンクあり)。
秋田県
清酒よりも甘酒に用いられている種麴になりますが、「あめこうじ」が秋田県総合食品研究センターと秋田今野商店によって開発されました。
低チロシナーゼかつ高グルクアミラーゼなら吟醸酒に使えそうにも思えるのですが、現状使用されている様子が確認できません。そうはうまく行かないんでしょうかね。
茨城県
種麴メーカーの日本醸造工業株式会社と、茨城県産業技術イノベーションセンターのフード・ケミカルグループによる共同研究で開発された新しい麴菌「清麗」を用いた大吟醸酒で、全国新酒鑑評会の金賞を受賞したというプレスリリースが確認できましたが(下記リンク先の6月27日付の「 県内事業所と共同研究で取り組んだ種麹を使用した清酒が全国新酒鑑評会で「金賞」「入賞」!」がそれです)、開発経緯は見つかっていません。
「青リンゴのようなフルーティーな香りを増強させる清酒用種麹」と記載があるのですが、「清麗」で検索しても詳細が出てこないので、これからですかね。
長野県
長野県工業技術総合センターが育種した麹菌のビタミン2高生産株R2、という情報が見られましたが、味噌用でした。
静岡県
静岡県工業技術研究所の報告によると、独立行政法人酒類総合研究所、株式会社ビオック、静岡県酒造組合との共同研究により、「静岡県オリジナル清酒用種麹の開発」が行われ、県内蔵元での醸造データの収集が行われている段階です。近いうちに正式な頒布が行われそうですね。
兵庫県
酵母の件でも触れた「庭酒プロジェクト」ですが、麴菌も宍粟市の庭田神社境内からA. oryzaeを採取して用いていることが記載されていました。
「日本酒発祥の地」は諸説あるのですが、宍粟市は「『播磨国風土記』に現存する最古の日本酒造りの記述が残る」ことを根拠に名乗っているようです。日本酒造りというより、麴菌を用いた酒造の最古の記録というのが正確なところでしょうか。
なお、この麴菌を用いた甘酒製品「にわの糀」のパンフレット[PDF]には「本殿前にお供えした甘酒から発見されため『庭こうじ』の名がつきました。」という記載があります。
奈良県
こちらも「清酒発祥の地」を謳う案件になりますが、「正暦寺酵母」の際に触れた菩提酛仕込の復元において、麹菌の採取を試みています。
しかし、結果としては有望な菌株を得ることができず、麴菌については特別なものを用いることなく菩提酛仕込が行われている旨が記されています。
鳥取県
鳥取県産業技術センター研究報告において、2010年から鳥取県のオリジナル麴菌を自然環境中から取得し、その結果として吟醸酒用および純米酒用の2つの菌株の獲得に至っていることがわかりましたが、そこから後が情報がみつかっていません。
下記リンクには「センターが開発したすいか麹と酵母を技術移転し、『鳥取オリジナルの日本酒』が製品化されました。」とありますので、おそらくこの「すいか麴」へ繋がっていると推測しています。
その他の麴菌開発の動き
たまたまこんな記事を見つけましたので紹介しておきます。
引用するには長いのでリンク先をご覧ください。
清酒の生産量が1/3に落ちても単価を3倍以上に上げて売上金額が確保されれば産業として成立しますよね、という問いに対して、種麹屋はそうもいかないという危機感は確かになかったですね。
これは瓶や箱などの資材にも共通する問題で、瓶に至っては製壜工場の閉鎖に伴う資材不足が問題になりました(一升瓶のリターナブルについてはまた別の要因もあります)。業界として持続可能かどうか、という着眼点は興味深いです。
麴菌に関しては以上です。
酵母に比べるとあっさりしていますが、思ったより時間が掛かってしまいました。
微生物の話で続けるならば乳酸菌(酒母の話や火落ちの話)かなと思いますが、乳酸菌やその他の微生物たちについては、自身の基礎学力が弱いのが明らかなので、少し方向性を変えようかな……。