世界の中心で自我を叫ぶ?
目を閉じる。
そこは、自分だけの世界。
自分が中心となる自我なる世界だ。
目を開ける。
そこは、あらゆる人達が生きる世界
自分が中心ではない世界だ。
わたし達は、この二つの違いに気づけないことが多い。
そしてそれが、あらゆる悩み・苦しみの原因になっていると思う。
スマホでMAP検索すると、GPSによって、自分の現在位置が分かる。
それは、単なる個人の位置情報であり、世界の中心点ではない。
しかし、わたし達人間は、目を閉じても、開けても同じ世界だと錯覚してしまう。
目に見える世界では、誰もあなたのことを中心だとは思わないし、認識さえしていないかもしれない。
わたし達は、気をつけないと、目を閉じながら周りに自我を展開する人になってしまう。
「自我」とは、自分の正義であり、エゴである。
自分はこの世界の一部にしか過ぎないのに、いつの間にか、まるで世界の主導者にでもなったように振舞う。
他人を断裁したり、自分の正義を押し付けたり、権威をひけらかしたり、逆に自分をおとしめたり。これらはみんな目を閉じた世界(自我)の延長線上にある。自分をこの世界の中心かのように思い込み行動した結果だ。
では、目を開けて生きていくにはどうすればいいのか?
もっと自分を観察することだと思う。さらには、自分を疑うこと。
人は、自分のことを客観的に観る習慣がない。
自分のことは自分が一番よく分かっている、という意識だ。
自分を疑うことが出来ない。
余程、苦しい状況にならないと、自分を顧みることがない。
自我は、悩みや苦しみの原因となることが多い。
自分を疑うことが出来るかどうかが、間違った自我に対するブレーキになると思う。自分は正しい、間違っていない、そこに固執する心。
科学者にとって重要なのは、天性やひらめきではなく、自分を疑えるかどうかであると言う。
自分を信じて強く生きることは素晴らしいことだ。
しかし、自分を疑うことが出来る人は、謙虚であり、素直であり、成長できる人であると思う。
自分を俯瞰で見ることが出来きれは、独りよがりな自我から解放され、真に自由な人になれると思う。
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