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望む運命に向かう自由意志

運命について、分かりやすい例をあげてみたいと思います。

例えば、宝くじを買ったとします。

宝くじを買ったあなたは、無意識でもワクワクしているはずです。
「当たります様に」と、心のどこかで願うでしょうね。

当選する・当選しないという結果は、宝くじを買うという行為(原因)があってのことです。

買わない限り当選もあり得ません。
これは、因果というものですね。

当選しているのに、それに気づかないという結果もありますね。
そこには、当選を確認しなかったという原因があります。

因果というものは、両方向に力が働きます。
・原因から結果が生じる
・結果は原因から生じる(帰結する)

宝くじが当たるか当たらないかは、偶然?もしくは運命でしょう。

運命論の話をすると、「運命が決まっているのなら、努力してもしなくても同じ結果なのではないか?」と思いたくなります。

しかし、宝くじは買わなければ当たることは100%ありません。
当選したいのなら、宝くじを買うという行動(原因)は必須です。

例えば受験生が、A大学に行きたいのに、B大学の試験を受けてもA大学には行けません。また、受験に向けての勉強をしなければ合格すること(運命)は難しくなるでしょう。

つまり、望む運命に向けての選択と努力が必要なわけです。

・努力の甲斐あって、A大学に合格する
・あんなに努力したのにA大学を不合格になる

ここまでは、選択と努力の結果として訪れた運命です。
しかし、第三の結果があります。

それは、

A大学に合格したのに入学を辞退するという選択です。
そこには「自由意志」というものが存在しています。

新たなる原因が発生したということです。

運命は片方向にしか力が働かない場合があります。
原因が無く、結果だけ生じる場合です。
望む望まないに関わらず結果だけが生じる場合。

持ってうまれた性格、体の障害、境遇(親兄弟・家柄・町)、時代、病気、事故、事件、天災がそれです。

これらの運命は法則としてとらえることが出来ません。
なぜなら、因がないからです。
因果が成立していないからです。

しかし、全てのことが運命として決まっているのかと言うと、それを論理的に証明することはできません。

望む運命に向かって自分自身をシフトしていくことは自由です。
それが、哲学で言われる「運命論と自由意志」というものだと思います。

0を1にしておかないと、いくら掛け算をしても0のままです。

つまり、
自分が望む運命のために、やれることは精一杯やっておく。
0を1にしておくという行動は、望む未来に向けての自由意志ということになります。

運命というものが、わたし達の前に立ちはだかることはあるけれど、選択や努力にはちゃんと意味があるということです。

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