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毒親の過干渉から解放されるためには?

子供にとって毒のような存在でしかない親という意味の「毒親(どくおや)」。小さい頃の自分にとって絶対的存在である親は、例えそれがどういう人間であろうと従うしかない対象だ。

しかし、自分が大人になって分別もつくようになると、毒親の過干渉が自分にとって煩わしいものとなり、どうにかそこから逃げ出そうとするが、既に心は洗脳された状態であり、逃れることが精神的に容易ではなくなっている。

相手が親だからこそ苦しむことになる。

そんな毒親の過干渉から自分を解放するにはどうすればいいのか?愛する毒親から逃れ、自分を解放する方法について考えてみた。

■毒親の過干渉

毒親「毒」とは、子どもに対する過干渉や絶対的独裁者のような精神的コントロール、または暴言や暴力などの虐待行為、育児怠慢や育児放棄などを指して言う。

そんな親に対して表向きは従っていても内心では強い反抗心が芽生えていることがある。

上辺は良い子でも陰に回ると他人に意地悪をしたり平気でいじめをするようになることがある。

子供が大きくなると、毒親はさらに過干渉となって、あらゆることに干渉して自分が思うように子供の人生を操ろうとする。

それは、表向きには子供のためと言いながらも、実は自分の欲望や不安をただ子供に押し付けて思うようにしたいだけだ。

そんな自分中心で子離れできない親から解放されなければ、子供は社会に出ても大人としてしっかりと精神的に自立していくことが難しくなる。

その子が親になった時、気づけば自分も毒親のようになっているかもしれない。

■毒親の特徴

毒親は、子供が小さい頃には、やる事なすことすべてを自分が管理して、従わせることが当たり前のように思い、間違えれば激しくしかり、自分のいう通りにしておけば間違いはないと刷り込み、従わなければヒステリックになり、まるで支配者の様に我が家に君臨する。厳しさと支配を混同している。

自分の思うようにしてくれる子は良い子。してくれない子は悪い子。自分の言う通りにしてくれたら子供は幸せになると信じて疑わない。

強い自己顕示欲承認欲求によって、親だから叱ったり教えたりするのは当り前であるという思いを利用して、気づかない内に毒を放つ親になる。

親の言う通りにしていれば子供は(実は親が)安心であるという思いだ。

口癖は、「おまえのことを思って言っている」という優しげな甘い言葉だ。小さい頃からその言葉を脳内に刷り込まれて洗脳された子供は、その呪縛(じゅばく)からなかなか逃れることができない。

子供が大人になると、進学や就職などの進路や恋人や結婚についても過剰に干渉してしまう。親子お互いが近い距離に住んでいれば、おそらく子供が何歳になろうと毒親の過干渉が無くなることはないだろう。

■毒親の過干渉から解放されるために

毒親の強い過干渉から解放されるためには、ハッキリと毒親と決別する覚悟をもつことだ。とにかく毒親の監視下から逃れること。きっぱりと親を突き放すこと。

しかし、洗脳された子供はなかなかこれが出来ない。精神的にとても苦しいことかもしれないが、親は子供がそうすることによって精神的に自立することができるし、結果としてそれが親のためにもなる。

親から自立する子供を見て毒親は悲しむことだろう。感情的になり己の絶望感を高らかに表明する。

最初は裏切り者のように罵られるかもしれない。長らく子供を自分の所有物にしてきたのだから、その不安と不満はいかばかりだろうか。

子供に裏切られたと激しく嘆くだろう。それは「子供のために一生懸命に生きてきたのに…」という恨めしい思いで満たされている。

子供の成長を素直に喜べずに、離れていく寂しさに怒りさえ覚えるかもしれない。

●親に対する愛情

親に対して忘れてはならないのが、自分を育ててくれたことに対する感謝の気持だ。たとえ毒親であろうと、一人の人間を一から育てることの大変さは、親にならない限り理解することはできないだろう。

それほど大変な思いをして自分を育ててくれたことに感謝し、そんな親のため、そして己の未来のために、お互いの良好な関係を作るために決別する。

決別とは「捨てる」ということではなく、永遠の別れということでもない。大人同士お互いに距離を置いて生きるということだ。毎日顔を合わすことはなくても遠くで相手を想うことも愛情だ。

遠くにいるからこそ想い合えることがある。遠くだからこそ初めて気づけることもある。

自分に子供が生まれると親の気持ちというものが初めて理解できることがある。お互いに新たな気持ちで再会することもあるだろう。それも離れて生活すればこそ生まれることだ。

●自分の子供に対する愛情

自分が親となった時には、自分が味わった辛い過去を自分の子供にも体験させることがないようにしなければならない。

親から受けた虐待がトラウマとなり、自分の子供にも同じことをしてしまうケースは珍しくない。

親の務めとは、子供の体と心を健全な大人に育てていく事だ。社会に出て一人前に生きていける体と何事にも負けずに生きていける強い心を育てること。

なかなか難しく大きな課題ではあるが、産んだから親、育てたから親という権利だけではなく、親にさせてもらったという想いが良好な親子関係を作るかもしれない。

わたしにも子供が二人いるが、振り返ってみると後悔することも多々ある。子供に教えられたことも少なくない。もちろん生んでくれた嫁にも感謝している。

子供は親の所有物ではない。

「子供は大人に育てて社会にお返しするものだ」と以前に何かの本で読んだ記憶があるが、そう思うことが子離れの秘訣なのかもしれない。子供は天から授かったものなのだから。

■まとめ

手間暇かけて育てたものには必要以上に愛情が湧き執着してしまうものだ。

しかし、子供が大人になって、たくましく成長していくことを素直に喜び、人生の新たな旅立ちを共に祝い、社会に解き放つ時が来たことに無上の喜びを覚えることが親としての正しい愛情だと思う。

近くにいるからお互いが見えないことがある。遠く離れているからこそ思いやりの心が強くなることもある。

子離れ、親離れをするためにお互いに離れて暮らす選択肢もあるだろう。

親のありがたみというものは、自分が親になって初めて気づくものかもしれない。親子というものは、巡り巡って愛しくも寂しいものだ。

親離れ、子離れは、動物の世界ではハッキリとしている。なぜならそれが子供のためであり親のためでもあることをDNAが知っているからだ。

そこには、弱肉強食の世界で生きるものだけが受け継いできた強い愛が隠されていると思う。





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