母という存在
5月22日
僕にとって、5月は母のことを考える月になっています。5月の第二日曜日は母の日です。それだけではなく、僕の母の誕生日が5月22日だから母のことを考える月になっています。
母は偉大です。別にマザコンですと言いたいわけではありません(笑)
誰にとってもそうかもしれないけれど、僕にとって母は優しさの象徴です。もちろん、嫌になることもあります。
今まで一度だけ母にちゃんとしたプレゼントを贈ったことがあります。おそらく中学3年のときに母の日のプレゼントと誕生日のプレゼントを兼ねて、5年前の今日2,000円くらいの花束を買って母の部屋に手紙と一緒に置いておきました。母が帰宅してからのちょっとしたサプライズです。
この話、ここまでは幸せそうな話ですよね。
しかし、ここで問題発生。嫌なことはすぐに忘れたいたちなので、内容は覚えていないけど、母が仕事から帰宅後、まあまあなケンカをしちゃいました(笑)
いつも僕はぶつけようのない怒りを持った時には、一人で部屋にこもります。そのときもそうしました。母も部屋に戻ったみたいで、もちろんプレゼントを発見したみたいです。
慌てて僕の部屋に入ってきて、謝ってこられました。僕はどうしていいかわからず、「うん」とだけ言って部屋を出させました。それ以来、「誕生日おめでとう」を言うことはあったけれど、プレゼントを渡すのは躊躇してしまいます(笑)
母がタイムラインに投稿していたのを思い出して五年前のをダウンロードしてきました。ピンボケしとるやん。。。(笑)
母は偉大
ただ、僕にとって母は偉大です。ここからはなぜ偉大なのかについて書きます。
母は、ほんとに優しいです。優しすぎます。とても優しい。僕には持てない優しさです。
僕はたくさん慰められてきました。たくさん叱られました。そして両親をたくさん困らせてきました。まぁ、僕も両親に困らせられてきてるんですけど。きっと、これまでもこれからもこの関係は続いていきます。それでも、あの母はずっと優しいと思います。
でも、優しいから偉大というわけではありません。優しくて、そして強いから偉大なんです。特にこの半年くらいめちゃくちゃ強い。まぁ、離婚したから強くならないといけなかったのだと思います。
つまり、母としての優しさと、家族の柱として立たないといけないという強さがあるのだと思う。この一年、僕の環境にはたくさんの変化がありました。その変化を見守ってくれました。そして乗り越えるための言葉をくれました。そうやって、偉大になりました。これからもケンカすると思うけど(笑)
ありがとう
もう一回言っておきます。
僕はマザコンではありませんが、母は偉大です。
母にはブログのこと伝えているので、いつか見てくれるかな。活字が嫌いな人だから読まないかもしれないけれど。
50歳目前の女性にとって、誕生日はおめでたいことじゃないと思うから、ありがとうって残しておきます。
今までありがうございました。これからあと30年くらいは生きなきゃだよ。