「鯨とともに生きる〜太地町訪問」 行政が描く未来図 ④
シリーズ、その4回目になります。そして最終回になります。
第3回目、第2回目と第1回目は以下をご覧ください。
結論から申しますと、太地町と捕鯨(イルカ漁含む)は切っても切れないのであります。そして・・・
■伝統だけを理由に捕鯨をやってるわけでもありません。
■愛護団体への対抗心でやってるわけでもありません。
太地町にとって捕鯨は街の存続のための重要なコンテンツなのであります。もし太地町から捕鯨を奪ってしまったら、太地町は街としての存続ができなくなるでしょう。
梶取崎の灯台、その風見鶏はクジラでした。このひとつ前の写真は郵便ポストです。どこもイルカです。
平成の大合併とは無縁の街
小泉政権時代に平成の大合併というのがありました。今、あの合併で苦しんでいる地方自治体は多いです。国からお金を借り、それでハコ物を作ってしまい、その借金を返すのが大変だと言うのはよく聞きますよね?夕張市のように破綻した自治体もあります。
街全体を公園にする
日本でも13番目に小さい街と言われている太地町はそんな平成の大合併と言うものには無縁でした。
太地町には大きなビジョンがありました。それは「街全体を公園化」という構想です。
高齢化問題
高齢化が進む太地町、街の人口の44%が高齢者だと言います。役場の人間が高齢者宅に訪問して聞き取りをすると高齢者は大抵「電気代で家族に迷惑かけられない」と言う理由で家にいても冷房をつけないそうです。
しかしそんな高齢者にも思う存分涼んでもらうためにコミュニティセンター(?)には冷房を設置し、マッサージチェアや低周波の機器を入れ、無料で施設に入れて何をするのではなくただ休んでもらえるような場にしたそうです。
そんな施設やスーパーに行くための手段として、街では高齢者には無料で乗車できるバスを運行しています。
私も乗りましたが、観光客でもどれだけ乗っても100円であります。
また高齢者がそう言う施設に行く途中でも休めるよう町内300箇所にベンチを設置したそうです。
確かに街のいたるところにベンチはあり、上の写真は町立くじらの博物館前の様子であります。
トイレのキレイな街
街全体を公園化し、多世代が集う場所にするというのが町長の構想でもあります。
さらに家で用を足さなくても、と言うことで街の公衆トイレは全てがウォシュレット完備だそうです。これによって観光客に対しても、遊びに来ても綺麗なトイレがあれば喜ばれるというのがあると言います。
「太地町の公衆トイレは日本一キレイ」とも言ってました。
捕鯨存続への危機感
太地町は大背美流れ以降、一時捕鯨を止めていました。しかし東洋捕鯨が太地に基地を作ったことで再開させ、そして戦後の食糧難の時代も救うことになりました。
しかし徐々にクジラが捕れなくなるという危機感も街にはあったそうです。そして捕るだけではなく、見せるクジラと言うことも考えるようになり、町立くじらの博物館が完成し、現在ではクジラの学術都市にするという元、日本鯨類研究所を誘致するそうです。
またかつての捕鯨に携わっていた人たちも職をなくす可能性もあるというのはその当時から認識していたそうです。
よって①シーカヤックの観光施設や②スーパー、③道の駅の運営を漁協に委託させるなどもやっています。
街の自立のために古来からある捕鯨を利用
高齢化の問題、そして平成の大合併と地方の自治体にとっては頭の痛い案件が多いです。
しかし太地町では、高齢者が一月に35,000円で生活できるようにするという目標をたてました。町立くじらの博物館の売り上げで税を下げるなどをし、まさにクジラという資源で街を自立させるというのが大きい狙いであります。
先人から受け継いでいる捕鯨と言う伝統を使って、街をよみがえらせ、高齢者にとっても手厚いケアを提供するというビジョンには捕鯨が良い悪いと言う単純な図式ではなく、街が自立できるための大きなコンテンツなのではと思っています。
太地町の街作りは他の地域の街作りの参考になるのではないでしょうか?
沖縄ですと米軍基地誘致、あるいは原発誘致、あるいは平成の大合併、これらの甘い汁に頼ることなく自立しようとしているのが太地町だと思います。
東洋経済、大丈夫か?
そんな中、本日(12/13)の東洋経済に太地町のこと、イルカ漁のことが掲載されていました。
愛護団体の意見だけで記事を書く「東洋経済さん、大丈夫か?」と思いました。
太地町が捕鯨をやる理由は、
■伝統だけを理由に捕鯨をやってるわけでもありません。
■愛護団体への対抗心でやってるわけでもありません。
街作りの一環なのであります。そしてこれが太地町が描く未来図なのです。
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