人生を変えた島国ミクロネシア連邦を訪ねて⑩/私たちの基準は基準でない
前回の記事は以下からお読み下さい。
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幸せの基準って何なんでしょう?
ミクロネシア連邦など太平洋の島国には先進国が支援をおこなっています。日本もJICAのもと、我々の血税を使っておこなっています。勿論ODAの考えからすると世界のGDP引き上げが大きな目的でありますから支援は必須です。ODAの概念は簡単に言うと世界約200ヶ国みんなが幸せになるということです。でないと第二次大戦期に逆戻りします(現実的に全員がハッピーなんてムリでしょうが、それを言ってしまったら国連なんて機能しません)。
しかし先進国が途上国に支援し、我々並みの生活水準に上げることが本当に彼らにとっての幸せなのでしょうか?
時折その国際支援に疑問を感じることがあります。それにはすべて先進国による上から目線を感じます。
「我々(日本)にはお金がある、技術もある。だから何でもしてあげられます」
インターネット、Wi-Fiなどインフラがなければそれを整備してあげたり、気候変動の時代だからソーラーを設置してあげたりなどです。
でもネットがあったらあったで色々と負の面がでてきています。日本を見れば一目瞭然です。負の面を挙げたら数えきれませんよね。
ヘッダーの写真はミクロネシア連邦のジープ島の夕暮れ時です。電気が無ければ月明かりで何とかなるもんです。ジープ島には「都会にあるもののすべてが無くて、都会に無いもののすべてがある」と・・・・・・。
先進国の基準は基準にならない。私はミクロネシアへ旅してそう感じました。
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