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自然への敬意を忘れない
反捕鯨の人たちは徹底的に太地町に対して、捕鯨に対して、イルカ漁に対して敵意があるようだ。
自分ではわからなかったのだが、随分前から捕鯨、イルカ漁、太地についてツイートすると絡んでくる人がいる。もちろん反捕鯨である。2年ほど前、専門学校の授業で「先生に反論している人いますよ」と学生から教えてもらって知った。
太地は『大背美流れ(1872年、セミクジラを追っておこった海難事故)』以降捕鯨を止めていた。
大背美流れに関しては以下に書いております。
それによって「太地の捕鯨文化はこれで終わった!」と言う人もいる。しかし東洋捕鯨がノルウェー式による捕鯨基地を下関に続いて太地に作ったことによって再開させた。
下の写真は下関にある東洋捕鯨の旧社屋。
![](https://assets.st-note.com/img/1671236880023-vfEpYS3jtw.jpg?width=1200)
それに対して反対派は「ノルウェー式は古式捕鯨とまったく違うものであり、それは伝統の継承ではない」と反論する。
確かに全く違うものだが、彼らがはらう熊野灘にある自然への敬意は古式だろうが、最新式だろうが変わらない。
それは火縄銃からライフルに変わったマタギと一緒。そしてシャッター商店街の街と違って、捕鯨、イルカ漁で自立再生できるのならなお良いだろう。
太地町取材訪問に関しては以下からご覧ください。4回シリーズの最終回ですが、過去の記事ともリンクさせています。