女系天皇論に思う
秋篠宮家の現状も憂慮されていることもあるのでしょうか、「#愛子さまを皇太子に」というハッシュタグが再び投稿が再びトレンドになっているとか。しかし、仮に愛子様が天皇になられた時、悠仁様派との間で分断が起り、ひいては日本が実質内戦状態になることが想定されます。愛子様ご即位の「正統性」が焦点となるからです。正に南北朝の再来です。
日本が分断されると海外からの干渉リスクが高まります。明治維新でも影には海外勢の姿があり、アメリカ南北戦争でもイギリスの影がチラついています。これも誰かが背後にいて大衆がそれに乗せられて「男尊女卑だ」「愛子様が可哀そうだ」と的外れな事を言わされてはいないだろうか。
以前の投稿でも書きましたが、人が社会生活を営む時は何らかの共通理解(=価値基準)が必要で、それが無ければ優劣(=価値)の諍いが起きても調停ができなくなります。どっちがどう正しいとは「絶対的」に言えなくなってしまったからです。世界中で起こった悲惨な宗教戦争の歴史を見ればそのことは容易に分かります。折り合うところが無ければ、どちらかが殲滅されるまで続きかねない。
例えば今の西欧はプラトン以来の2000年以上も西欧の共通理解のコアである形而上学が、弱りはてた最後にニーチェにとどめを刺されて、そこから生まれる共通価値基準を失ってしまった。既に神の位置には理性や科学が座り、「論理的に実証できるもの以外は無価値」という論理実証主義が主流になってます。日本もその影響をモロに受けています。「AならばB」の場合「Aが正しければBが正しい」のですが、そのAの正しさは論理学では保証してくれません。つまりAが正しいかどうかは「外」から持ってこなければなりません。「男子男系が正しい」VS「女性女系でも構わない」という戦いは、論理や理性では調停できなくなる可能性が高い。
ではどうやって解決すれば良いのか。彼岸(あの世)の絶対的価値は崩壊したが、此岸(この世)にはまだ使える基準があるというのが保守主義の言説です。それは「慣習」です。多くの人が支持し、長く続いていることはそれだけで価値があると見なすということです。既に多くの人がそれにどっぷり浸かっている、多くの人は無自覚的に。身近な日本の例で言うと、運動部経験者は良く分かると思いますが「たとえレギュラーでエースのでも1年生は、たとえ下手っぴな補欠であっても3年生には敬意を表する必要がある」というもの。これについてアメリカで意見を聞いたら100%回答は「ありえない!」と。年下の上司が年上の部下にため口で偉そうにしている姿は、今の日本でもやはり醜く感じませんか?もっと言えば、憲法も本来は慣習を文字起こししたものですし、貨幣だって慣習です。伝統的価値と言うのは慣習、文学、芸術、教育の形で引き継がれます。ポイントは多くの人が長い年月支持してきた価値はそれだけで人を縛るということ。此岸の中にも絶対的価値に使えるものがあると言うことです。