精神科診断に代わるアプローチPTMF読書会の対話 7章 前編
【全10回:精神科診断に代わるアプローチ PTMF(5月〜9月編)】読書会でおこった対話や白木先生の教えを元に構成しているレポートです。初学者の方にも易しく解説します。医療関係者だけではなく、人材開発、組織運営、教育現場の方にもおすすめです。
前回の内容はこちらから 👉PTMF読書会の対話ー6章
6章まではご本人にその出来事をどう意味づけたのかを考えるお手伝いについて記述されています。今回は7章について深めていきます。
7章は「生き延びるために、何をする必要がありましたか?」。脅威への反応(スレッドレスポンス)に関して理解する章です。前回同様、最後の「?」マークは、相手への「問いかけ」と理解し、質問の意ではないようです。
不自然な行動か、有用な手段か
PTMFの立場では「異常と受け取られている行動や感情」をスレッドレスポンスだと捉えることから始まっています。スレッドレスポンスとは、脅威に対して無意識に起こる反応です。
一見、不可解な行動や感覚に捉えられることもあります。書籍の中では、特に幼少期あるいはそれ以降に経験した「とてつもなく辛い環境や状況」が原因となり、起こることが丁寧に記述されています。「世代間トラウマ」、さらには「気候トラウマ」も紹介されています。
このように多くの脅威が明らかになりつつあり、脅威が社会的な背景に起因するものと個人に対する特定的な背景によるものと複雑になってきます。そのため、PTMFでは後者に「逆境(adversity)」という言葉を用い表現します。
なぜヘルプと言えないのか
見えない境界線
読書会の対話では「常識的に普通だと思える範囲か、否かをその時に判断できるのかな」という話題が上がりました。昭和的な家庭では悪さをしてパシッと頭をはたかれるなんてことは「普通」だったのかもしれませんね。
現代であれば虐待と言われることもあります。
もし家庭の中で日常的に、ご本人にとって辛い出来事が起きていたら。しかし、「その時だけ我慢すればやり過ごせる程度だ」と感じていたらどのタイミングから周りの人に「ヘルプ」を言えるのでしょうか。
仮に周囲の人から「大丈夫?」と声がけがあっても、問題ないよと答えかもしれないな、と、お声がありました。
痛くないんです
私は最近、「胃の痛みを我慢し続けたら、痛みを感じなくなった」というスレッドレスポンスの話を聞きました。疾患の治療もしていないのに痛みを感じなくなったから、自分だけ我慢すれば大丈夫だと、我慢し続けたそうです。
「痛みを感じない」という反応は、その方が生きるために必要だった「身体の反応」だと理解できます。そんな時は、「辛い時間を頑張って乗り越えてきたんだね」と、まずその方の思いや行動に寄り添い、認めて労うことから始めるといいそうです。
脅威への反応に関する特徴
脅威への反応は、あるべくして存在し、その方を保護してくれる存在です。
そして、状況が変化してこのような生存のための戦略が必要がなくなった場合には捨て去ることが良いと述べられています。
以下、紹介されているスレッドレスポンスへの7つの考え方です。
脅威への反応は連続線(スペクトラム)上にある
脅威の反応は私たちのパワーリソースによって形作られる
脅威への反応が社会的に評価されることもある
脅威への反応の歴史的な変遷
脅威への反応は文化によって異なる
脅威への反応には機能と目的がある
脅威への反応は社会全体のレベルでも起こりうる
前述の通り、必要がなくなった、または行きすぎたスレッドレスポンスには注意が必要です。脅威が起こる環境や状況から脱することができたにも関わらずスレッドレスポンスが起こる場合は、その方をかえって生きづらくさせてしまいます。
そんな時は、無理にやめさせるという行為は逆効果です。
そのスレッドレスポンスよりも、より有用で日常的に役立つ行動を一緒に探し出すお手伝いを一緒にすることが大切です。
ここまでご覧頂きありがとうございます!
次回は第7章後編「スレッドレスポンスからの脱却・対話という名の指導」についてです。レポートをお楽しみに!(次は8月30日前後に更新の予定です)
Writer:豊川真美