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【自分が60歳まで残り9467日】

【自分が60歳まで残り9467日】
同様に娘、息子の20歳までの年齢を毎日見るようにしている。

そして、妻の60歳と80歳、私の80歳についても確認している。
それを眺めながら、今の進み方で後悔がないか、加えて、今日が自分の人生最後の日だとしたら、と尋ねながら少し考える。

なんとかしなければならない苦境と、それをものともしない、そして、微塵も感じさせない強さと、美学と、いろんなものがある方がいるように思う。

自身も一層大きな会社を作り、責任を一層伴う存在になった時に、こうした投稿だったりも変化するのだろうか。

それも想定しながら、今から変わっていく必要があるのだろうか。一方で、意識高いと揶揄されるままで終わるのか。

考えることと同時に、実際に残り時間を考えながら、しっかりとチャレンジしていかなければならない。そして、チャレンジとはつぶやき、プレスを打ち、口に出すことではない。

どういうことがチャレンジなのか、考えつつ、私がここで書くチャレンジというのは仕事に繋がることが多い気がする。

では、自らが欲しい仕事の結果において、明確に、どうしていきたいのか。どうだと残念で、悲しくて、納得がいかないのか。そして、嬉しいのか。それを分解して、イメージして、どうありたいのか。

これがちゃんと明確でないと、なんとなくどうだったで、終わってしまうのだろうか。

妻からの提案で、家族みんなの1ヶ月の目標を家に飾ろう、とのこと。めちゃくちゃ素晴らしいなと思いながら、私は実はそれが苦手なのかもしれないと思った。

これまでざっくりとした曖昧な形で、大きな夢を掲げ、そこへの道筋は気合いで導き出し、捻り出す方針をとってきたが、それだと結局後悔がしそうだし、それもありだった、みたいな人生の振り返りになりそうだ。

それだと納得できない気がするという危機感があるからこそ、残り日数を考えた上で、書き出しているというのが実態である。

では、どうしていくべきなのか。妻、娘、息子の姿を眺めながら、両親と妹のことを思い出しつつ、祖母が亡くなった時に母の妹さん、私にとって叔母さんから「正己が今半に連れて行ってくれると行っていたけど行けなかったね」と生前、おばあちゃんと話したことを思い出す。

僕はそんなことを言ったのか、と感じたのと、おばあちゃんのことを思って、そして、将来大きくなるんだ、という宣言だったのだと思う。

そして、連れて行けなかった申し訳なさと、父の母であるおばあちゃんが亡くなる一年前に、中学校の時に野球の大会があるということで行かなくて、父と妹はおばあちゃんに会った。

その一年後、亡くなってしまうとは思わなかったけれども、あの時に選んだ選択はそれでよかったんだろうか、とずっと思うことがあった。

だからこそ、母の母、おばあちゃんに娘を抱っこしてもらえたのは、本当によかった。亡くなる直前だった。その高校時代の思いがあるからこそ、どうしても行きたかった。

ただ、もっとやれることもあったし、なんとかできたこともあったな、と思うと、おばあちゃんの気持ちだったりも、色々想像する。どういう気持ちだったんだろう。

そうした、いろんな人の、あの時のあの気持ち、というのをよく想像する。それを考えながら、残り時間と家族のことを眺めながら、ある意味、振り切るように、ただ、祈るように、できることを、申し訳なさと、ありがたさと、そんなないまぜな思いで、今日も頑張ろう、みたいな、そんな感じでしょうか。

60歳まで残り9467日。同様に両親の残り時間、娘、息子、そして妻の残り時間も考える。後どれくらいこうした時間を過ごせるのだろうか。このままの日々で後悔はないのか。そして、このままなのだろうか。

一寸先を常に考えながら、早速、息子がくわえているボールペンを取り、腿の上に乗せながらキーボードを叩く。

さて、今日もやっていきましょう!
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