【自分が60歳まで残り9465日】
【自分が60歳まで残り9465日】
残り時間は短い。何をして、何に時間を使うのか。
後、実際はどれくらいの時間なんだろう。父と母の時間も考える。妹についても同様だ。彼らは報われているのだろうか。
親孝行はしなくていいと言われることもある。そして、私にとっては親孝行をしようとして、やろうとしているわけではない。
ただ、そうしたいからそうしたいと思っているだけ。
じゃあどうしたらいいのか。
1秒でも早く、父母妹の苦役を楽にしてあげたい。
そんなの望んでないし、苦しんでないかもしれない。
でも、自身の想定から想像することがある。
それはやっぱりなんとかしてあげたい。
偉そうがなんとか、そういうことを言われてもどうでもいい。
とにかくそうしたいし、実際父は喜んでくれると思う。
そして、実際に喜んでくれている。
報われて欲しいし、なんとかしたい。
そこに時間とお金を使いたい。
そして、そうしたことが起きないようにしたい。
別にカンファレンスだってやらなくてもいい。
やりたくないならやらなくてもいい。
やりたいと思っていることのある人が、
1人でできないけれども、なんとか実現したい。
その想いに寄り添い、互いにかけ合わさることが大切。
ある人が「気を悪くさせてしまい、すいません」と。
いや、そうではなくて、私は少なくとも、
逆算で生きている時に、混じり合うことはないな、と。
そういうことではなくて、互いに生きる道があって、
守るべきものがあって、私は少なくとも時間を使いたくない。
もっと使いたい人と事がある、ただそれだけ。
なので、応援しているし、不幸になって欲しいとかもない。
なんか伝わってないなと思いながらも、
それを更に伝えることもない。
ただ、ただ、応援しているし、
互いに頑張っていきましょう、と。
それは私自体も同じようなこともあるだろうし、
時間は有限であり、命は有限ということなだけだと思う。
では、どうしていきたいか、を考えて、
それを常に互いに選び取っているわけだから、
そこに向き合い、何かをお願いする時は、
そうした前提のもと、ちゃんとフェアに、
なのか、その人の命の時間をいただいている、
選び取ってもらっていることは想像する。
そうした価値がある時間にしないといけないし、
一方で、それはお互い様でもあるし、
そこにできることもあるし、できないこともあるし、
できることもあろうだろうと思うと、なぜだろうか。
クリスティアーノ・ロナウドのマインドセットの動画を思い出す。
マインドかあ、怖いなあ、と思っていたこともある。
マインドを上げる、っていうのもなんだかやっぱり怖い。
ただ、自身の考えの癖はある気がする。
行動傾向もある気がする。
それが欲しい結果とずれているのであれば、
なんとか変えたりしないといけないと思う。
そして、いけないというか、少なくとも変えたいと思う。
そうしていたいとは思わない。変えたい。そうありたくない。
やっていかないといけない。
何をですか!?
何をですか?!
とか色々思いますが、
実際にある一定明確になってきている気がする。
一旦、というか、一貫しているが、
自身のやりたいことは、両親に、家族に、
少しでも早く報われて欲しい。
そこに最短、最速で近づきたい。
そして、できれば、そうしたことが再度発生しないで欲しい。
そこに尽力し続けたい。そういうことかもしれない。
ある経営者の「なぜ生きるのか」という問いを思い出す。
自分は少なくとも、生かしてもらっている中で、
そのもらったものを、くれた人にちゃんと返したい。
そして、子供たちにもそれを提供したい。
それが私なりの責任であり、恩返しの仕方なのかなと。
そして、いつ、何が起きるか分からない。
それがとても怖い。なので、未来プロジェクトは始めました。
怖くないのかな、と。怖いのかもしれない。
それを踏まえて、明るくっていうのは、そりゃそうだと思う。
ただ、深い思考なのか、導き出すなのか、
そうしたものがない中で、
なんとなくこどもの未来とは言いたくない。
それは育休を取得することだけでもないし、
選び抜いて、考え抜いて、キッカケとかでもないし、
オブラートに包んで、
きれいな言葉で気持ちが良くなるものでもない。
であれば、意味がないし、一緒にやる意味がない。
なので、退任しました。あの日の自分。
あの日の自分は大切だけど、
それは懐かしむばかりで、陶酔していないか、と。
あの頃があったから今の自分がある、と。
それはそうだけど、
それは何かの変化をもたらしているのか、と。
でも、もたらしているんだと思う。
そこに共感し、集まり、喜び、スッキリし、
救われている人もいると思う。それはいいと思う。
ただ、やり方の違いであり、生き方の違いであり、
自らはどうやって選び取って、何を大切にするのか。
そうした違いの積み重ねだと思う。
そうした先に、何があるのか分からないし、
一方で、私としては、繰り返しになるが、
大切にしたいポイントがあるので、そこに邁進する。
私も陶酔しているんだと思う。
となると、なんか堂々巡りだ。
そうかもしれないけど、まあ、なんですかね。
結論、頑張らなきゃ、そこをなんとかしたいな、
って部分があるので、そこに集中したい。
色々発散しているし、色々やりたい人なんだね、
と言われるけど、俺がやりたいんじゃない。
俺がやりたいんじゃなくて、それだけ大きな課題が、
多くのことにあるわけで、私だけじゃ難しいけど、
少なくとも声をあげて、何かやっていかないと、
どうにもならないし、そのままじゃないですか、ってことで。
その想いで、代わりに、ある意味、キッカケとしてやっている。
なので、別に俺ワールドをどうこうしたいとかじゃない。
全ては一貫して頑張っている人が報われる社会を実現したい。
そこから来ているわけで、でも、それはなぜか。
両親であり、妹であり、妻の姿からきている。
それを「なぜ」がない中で、推し進められないと、
一緒にやるのは難しいかなと思うのは実際にある。
そして、相手もそうなんだと思う。
実際に「いい人なんですね」と言われるのは、
よくあることだが、なんだかな、という気持ちになる。
でも、そうなんだと思うし、
それはある意味、思いやりなんだろう。
厳しくも生き抜いた人たちからの、
優しさであり、思いやりなんだと感じる。
だからこそ、そうありたくないし、そのままでいたくない。
じゃあ、どうするのか。
その打破と、学び取ることと、
それを切り拓くこと。そこに戻ってくる。
結局は、行動原理、支えることに、
1秒でも早く、辿り着きたい、なんとしたい。
意識が高いとか、エモいとか、どうでもいい。
なんとかしなければならない。なんとかしなければならない。
ただ、その一心である。
なんか、そうしたことを書きながら、
思い浮かべる人たちの顔がある。
こうした人たちにちゃんとお返ししないといけないし、
報いないといけない。
そう思うと、またなんか頑張れる気がする。
なんですかね。なんですかね。
後どれくらいなんだろうか。
後どれくらい続くのだろうか。
そして、続かないんだろうか。
常に選んで、選び抜いて、その先に何があるのか。
別にないのかもしれないけど、とにかく、
父と母がもっと楽に、そして叶えたかったことを叶えて欲しい。
それは妹も同様だ。妻もそう。
そして、できるだけ、娘と息子にそれを提供したい。
そして、私の子供たちだけでなく、できることをしたい。
そして、そうしたいと懸命に頑張る人たちの力になりたい。
なれるようになりたい。
それが足りていないし、未熟なのも分かった。
もういいかなと思う。いい人は。もういいかな、と。
ということで、
こんなに書き続ける時間があるなら、
ってことでもある気がしてきたので、
やるしかないので、頑張りましょう。
今日もやっていきましょう!