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命のつながり(じいちゃんの人生に思いを馳せる)
明日、じいちゃんの命日なので、
今日はちょっと思い出話をしようかと。
もしよければお付き合いください。
子どもの頃は、あまりじいちゃんの
人生について考えたこともなかった。
大人になり、父親や叔父さんたちの話から
浮かび上がるじいちゃんの人生は
なかなかのしんどさがあって、
でも悲しいばかりじゃないというか、
まぁ、どんな人でもそうであるんだろうが、
山あり谷ありの人生だったと思う。
かなり大人になるまで
あまり意識したことがなかったが、私の祖父は、いわゆる身体障害者だった。
あまり意識したことがなかったのは、
じいちゃんはハンデを感じさせずに
自分で生きている人だったし、
周りもごく当たり前のように接していたから
なのか。
じいちゃんは子どもの頃に小児まひにかかって
下半身が不自由になり、歩けなくなった。
ちょうどおはぎを食べた晩に熱が出たので、
それ以来じいちゃんはおはぎを嫌がって
食べなかった。
祖父は明治44年生まれで、7人兄弟の長男。
11歳下の大正生まれの祖母と結婚。
子どもは男5人。
私の父は長男だったから、
祖父母と同居していた。
じいちゃんは和裁の仕立て屋で、
下請けの仕事をしていた。
仙台は昔、袴で有名だったので、
そういうお仕事があったんだと思う。
じいちゃんのお父さんが仕立て屋をやってて、
多分だけど、足が悪かったじいちゃんに
職業を選ぶ自由はなく、
同じことをやれと言われやむなくだった様だ。
昔は長屋みたいなところに
お弟子さんたちと一緒に住んでいたらしい。
私が子どもの頃もじいちゃんは家で
仕事をしていて、仕事場には
大きな一枚板の作業場があり、
そこで手縫いをし、足踏みミシンもあって、
足が悪くてもそれも器用に使ってた。
歳をとると老眼になって、
針に糸を通すのが大変になると言って、
よくじいちゃんに声をかけられて、
糸通しを手伝った。
今思えば、孫とコミュニケーションとりたくて、
本当は自分でできるけど、
私に頼んでいたのかもね。
じいちゃんは昔の人だったから、
怖い雰囲気があり、近寄りがたかったし、
仕事の邪魔をすると怒られたから、
仲良しという感じではなかったけど、
糸通しする時は
私もじいちゃんに頼られて嬉しかったな。
家の中でじいちゃんは、
子どものハイハイと同じように
四つん這いになって移動していた。
子どもの頃にじいちゃんのマネと言って、
私も妹と四つん這いで歩いてたっけ。
バリアフリーなんてなかったけど、
畳の部屋があったから、そこがベース。
食事はいつもじいちゃんとばあちゃんは
畳の部屋で食べて、
私たちは台所のテーブルで食べていた。
というか私たちも
最初は畳の部屋で食べていたが、
途中からダイニングテーブルに変わった。
家を増築して、台所が広くなったからかも。
子どもながら、なんで別々なんだろうと
思ってたけど、足が悪いじいちゃんが
テーブルにつくのは大変だよね。
私たち子どもには正座して食事も大変だからと、
私たちだけはダイニングテーブルでの
食事になったのかもしれない。
外に出る時は、
じいちゃんは松葉杖を使っていたが、
歳と共に腕の力も無くなって
晩年は車椅子を父親が購入して
それで移動していた。
車で家族で出かける時は、
車椅子をトランクに積んで、
父親が介助して車に乗せていた。
そんなじいちゃんも、
若い頃は自転車に乗っていたらしい。
大学生の頃にばあちゃんから
そのエピソードを聞いて驚いた。
足踏みミシンのように、
グッと踏ん張るのはできるから、
ペダルを踏み込むことはできたみたい。
踏み込んだペダルが上の位置に戻ったら、
また踏むという感じで乗っていたらしい。
要するに両足を使って漕ぐのではなく、
片足だけを使って踏込みを続けるのだ。
伝わるだろうか。
伝われ〜。
仕立て屋の仕事は忙しく
休みなんてほとんどなかったし、
家にはお弟子さんたちもいたから、
結婚してまだ子どもがいない頃は、
自転車に2人乗りして
映画館へ映画を観に行くデートをしたらしい。
ばあちゃんから聞いたこのエピソードが
私は大好きだ。
年老いた人にも、
私たちのように若い頃の青春の想い出があって、
それを憶えているという感じが好きなのだ。
じいちゃんは足が悪かったから
戦争には行かずに済んだ。
7人兄弟のうち、1人だけ妹がいたので、
じいちゃんと妹以外はみんな戦争に行った。
そして、1人だけ弟が帰らぬ人となった。
そういう時代だ。
私の父親は終戦の翌年に生まれた。
じいちゃんが35歳、
ばあちゃんが24歳の時の子だ。
昔にしては随分と遅い年齢での
第一子だったから、
結婚が遅かったのかと思っていたけど、
そうではなく、見合い自体は
ばあちゃんが19歳の時で、
どんな人かもわからずに親に連れて行かれて、
初めて顔を見たじいちゃんと
すぐに暮らし始めたそうだ。
当時は子どもを授からないと
籍を入れてもらえなかったので、
(要は産めない女は帰させれた時代だった)
5年間は一緒に暮らしても結婚とはならなかった。
これはあくまで私の想像だけども、
弟子も一緒で狭い長屋で、じいちゃんの両親と、じいちゃんのばあちゃんも同居だし、
仕事も忙しかったら、
2人でコトを致す暇も余裕もなかったんだと思う。
しかもじいちゃんは足が不自由だったし、
気軽さはなかったんじゃないかと。
戦争になり、兄弟や弟子たちが
家から居なくなり、
実際仙台の町中は空襲にあって、
ばあちゃんの実家が郊外の山にあったから、
そこに疎開していた。
世の中は戦争という大変な時期だったけど、
そこでようやくばあちゃんと一緒にいられる時間
ができたんじゃなかろうかと思う。
ちなみに父は、
ばあちゃんの実家の山の家の馬小屋で生まれた。
お産は穢らわしいものと思われていたから
家の中で産ませてもらえなかった時代。
東北の2月なんて、
1番寒い時期に馬小屋でお産だなんて。
壮絶過ぎる。
そこから5人息子を授かったじいちゃんたち。
仕立て屋とはいえ下請けだったから、
暮らしは厳しく、一時期は生活保護を
受けていた時もあったみたいだ。
しかし、結婚前で、一緒に住んでいた
じいちゃんの兄弟たちの経済的なサポートや、
実際一緒に遊びに連れてってくれたりと、
子守りもしてくれていたみたいだったから、
人に支えられての暮らしだった。
実際、親戚付き合いは密だったと思う。
頻繁に叔父さんたちが訪ねてくる家だった。
そんなじいちゃんは私が小学校6年生の時に
亡くなった。
ずっと糖尿病だったんだけど、
最後は体が弱って臓器不全だったと思う。
私は病院の薄暗い雰囲気とか、
薬の独特の臭いが嫌で、
入院したじいちゃんのお見舞いに
家族で行くのが嫌だった。
じいちゃんには会いたかったけど、
ベッドに寝ているじいちゃんは
もはやじいちゃんでなく。
だから怖かった。
死が隣り合わせな感じがしていたのかも。
最後の方はワガママを言って、
病院の中に入らず車の中で待っていた。
ちょうどその頃は、父親がシンガポールに
転勤になるということが決まっていて、
父親はその準備で東京へ研修に行き、
週末に帰るという生活だった。
ある時、私はじいちゃんとばあちゃんに
呼び出され、お前も一緒にシンガポールに
行くのか?と問いただされたことがあった。
小学生の私に選択権は無いけど、
じいちゃんとしては孫たちだけでも
残って欲しかったんだろうね。
じいちゃんからものすごい圧を感じたけど、
一緒に行くと答えた私。
それを聞いてガッカリしてたなぁ。
父親曰く、転勤するって決まってから、
一気に気持ちが落ちて、
ガタガタっと弱っていったらしい。
6月に入院するようになり、
9月に亡くなった。
私はじいちゃんと過ごしたのは12年間だけで、
じいちゃんの話は本人からというよりも
周りから聞かされた話が多い。
それでもじいちゃんの人生を振り返ると、
とても逞しく生きた人だったんだなぁと感じて、
勇気をもらえるんだ。
じいちゃんが生きたからこそ、
父が居て、私が居て、息子が居る。
命が続いているということ。
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