美しくない戦後日本の風景 04: ヨーロッパ研修旅行帰りの建築学生
ヨーロッパでの14年間の生活を終え、日本に移住するにあたり、goodroom という不動産仲介業者にお世話になった。その際、担当になってくれた人から聞いた話。
大学で建築を学んでいた時、授業の一環で、クラスメートと共にヨーロッパに建築見学旅行に行ったそうだ。美しいヨーロッパの街並を目に焼き付けて、日本に帰ってきたら、クラス全員が、日本の街並の醜悪さにげんなり。三日間ほど、全員、心が折れたまま、立ち直れなかったらしい。
ヨーロッパの街並は綺麗で、日本の街並は美しくない、というのは良く聞く話。でも、単に西洋文化への憧れを意味しているだけだ、とずっと思っていた。とある展示を見るまでは。
2013年にパナソニック汐留ミュージアムで開催された「日本の民家 一九五五年」と題された展覧会。
気鋭の建築家、藤本壮介が展示デザインを担当、という話を聞いて、それを目当てに行ってみた。実際、展示デザインは1955年当時の日本各地の民家を訪ねて廻っているような気持ちにさせてくれて、秀逸だったのだが、それよりも(ないし、そのおかげで)印象に残ったのは、そこで目にした、綺麗な街並。ヨーロッパのような綺麗な街並。
展示風景(画像元)
日本各地それぞれの風土に根ざした、民家のデザイン。そのデザインが何度も繰り返されて、統一感のある、町の風景を創り出す。日本にも美しい街並はあったのだ。1955年には存在していたのだ。その驚きと興奮は今も忘れない。
愛媛県南宇和郡西海町 外泊集落 (画像元:timeout.jp)
つまり、ヨーロッパの街並は綺麗で、日本の街並は美しくない、というのは、文化の違いでもなければ、西洋文化礼賛のメンタリティーのためでもない。
街並の美しさは、取り巻く自然環境に素直に適応した結果としてのデザイン(使われている素材、形態)が、繰り返されることで生まれる。
そんな美しい街並を、戦後日本が破壊し尽くしただけなのだ。
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