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Global locality(仮)
タイトルのような概念をふと思いついた(し、これは今後とても大事になってくるんじゃと直観もしている)のですが、多くの人は「それって矛盾じゃん?」と感じるんだろうなあとも即座に直感した次第でございまして。そこで、ちょこっとだけ反論?を書いておくことにしました。ノートには”雑記帳”というニュアンスもあるはずなので、ご容赦いただけますと幸いですw
さて、"locality"を辞書で引くと、👇で引用するように、私たち、あるいは、私たち以外の第三者が存在している特定の場所といった意味の単語であることがわかります。
こずかむは、結構ガチ目のコミュニタリアンである(と自認している)一方で、国境や言語による壁は極力なくしたほうがいいとも結構本気で思っているひねくれものであります。だからこそ、ふっと思いついたんだろうなぁと。いわば、前者のコミュニタリアンのサイドのキーワードが"locality"であり、後者のグローバル主義者?のサイドのキーワードが"global"ということができましょうか。さらに敢えて敷衍すれば、一つの、超超大きな箱に全員が入るような形の、壁がまったくない世界ではなく、半透明のうすーい壁で仕切られていて、超えようとすれば簡単に超えられるけれども、音なども特段聞こえてこないので、超えようとしなければ特にお互い気にせずにいられるような世界。
まあ、そんなのが今後は大事になってくるんじゃないのかなぁと。移民とか、ナショナリズムとか、税社会保障とか、取り扱いが難しい、しかし、大事なトピックをこういう視点でうまく解決していけたらなぁと。今のところ単なる思い付きで、せっかく頭に浮かんだのでメモしておこうというだけなのですが。何か大きなものにつながるといいなぁ。
あ、遅くなりましたが、おはようございます❣