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「違和感」とかいちいち言ってないでまずは、やってみる
「違和感はサインだ」
そんなフレーズを聞くようになって久しいように思う。わたしもどこかで耳にしたその言葉を「じぶんの感覚を言語化してくれた!」とおおいに喜び、長らく行動の指針にしてきた。ここ、10年間くらいだろうか。
ことあるごとに嬉々として「違和感」って言葉を放ってきた。
わたし、違和感あったらやらないの。
直感で決めちゃうの。
そんなふうに。なぞにドヤ顔していたかもしれない。
(すぐドヤっておはずかしいかぎりです)
いや、でも、たしかに違和感はサインなのだ。
なにか自身と違う要素にひっかかるものがあるからざらっとした感触が、ある。
ちょっと違う。
なんだか合わない。
そんな兆しを少しでも感じたらさっと手放し、じぶんにとって心地よい方を選んできた。実におだやかな日々だった。合うモノに囲まれているのだから、あたりまえといえば、そう。
しかし!2025年のわたしは方針を変えようと思っている。
違和感を感じてもあえて進んでみるのだ。あたらしい、地平へ。
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ー
「安全圏から出る」と今年の目標に掲げてみた
安全圏というのは、つまりこんな場。
・言語がすんなりと通じる似た感覚を持ったひとたちがいる
・彼らとのあたたかいコミュニティーの中で
・気負いなく、いつものじぶんのまま
・のびのびと活動する。
そこにおいては
・唖然とするような衝突も、何それ意味わからん!という驚きもない
・すきなものも似ている
・もっとだいじなのは、いやだなってことも重なる。
それは、心地よいわけだ。そりゃそうだ。
よかったじゃん。
そう、それの何がわるいか、と言われたら、わるくない。実際、過去のわたしはそんな境地を目指していたわけで、無事、達成した。すばらしいしありがたいこと。
でも、認めないといけない。いま、あらたな違和感がある。
それは
「この状況をぬるま湯と呼ぶこともできるかもしれないんじゃないか」
という感覚なのです。
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ー
現在のわたしは、偏ったにんげんになりつつある
認めないといけない。偏っている。
安全圏でのびのびと生きてきた結果だ。
じぶんのすきな分野だけをせっせと深め、知らないことは
「わたしはそういうの違うから」
と見向きもしなかった日々。
たとえば、若い芸能人が誰だかさっぱりわからない。
アイドルは全員同じ顔に見える。
読書がすきだと思っているけれど、読まないジャンルはちっとも読まない。具体的に言うと、同じ読書でも、ビジネス書や歴史文学のような分野はまったく未開拓。ベストセラーのコーナーはオールスルー。
同じく映画を見ることもすきだけど、イオンシネマにはほぼ足を向けない。
音楽もそう。食も、そう。
そのように、現在のわたしは
じぶんのすきな狭いエリアだけで生息しているにんげんなのである。
書いててちょっといやになってきた。
これ、ただのガンコおばさんではなかろうか。
そこまで言うのは、じぶんに厳しすぎか。いや、でも認めたい。
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