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落とし噺の話【落語の言葉】

手術の後で、未だに動きがままならず、仕事にも行けず悶々とした日々を送っています。
しかし、暗くなっていてもしようがない。
ここは思う存分落語を観よう!と思い、DVDやYouTubeで落語を観ています。

主に江戸を舞台とした古典落語には「まくら」や「くすぐり」は別として、当然片仮名言葉は出てきません。
長いと60分、或いはそれ以上にも及ぶ噺の中に一言も片仮名言葉が出てこない。
片仮名言葉を使わなくても人の心や物をこれだけ豊かに表現することができる。
素晴らしい芸だと改めて思いました。

噺家さんはどの言葉をどう使うかを自身で考えます。
今では使われなくなった言葉もでてきますが、それをどう使うかも噺家の腕次第。
説明を加える人もいるし、さらっと通り過ぎる人もいる。
「この言葉はもう通じない」と思えば、他の言葉に代える。
噺の筋をこう持ってゆけば理解してもらえるだろう。
といったように。

今回聴いた中では古今亭志ん朝の「お直し」が秀逸でした。
この噺に出てきた言葉をいくつか挙げてみると、
朋輩、様子がいい、遊女、花魁(おいらん)、女郎、牛太郎/妓夫太郎(ぎゅうたろう)、お茶を引く、証文を巻く、侠客、お給金、「こつ」へ出かける、きまりが悪い、昔語り、薹(とう)が立つ、まぶ、嫌な心持ち、などなど。

志ん朝の噺ではこれらの言葉が何の説明もなしに出てきますが、噺の流れで意味が解る。
志ん朝ならではの名人芸でした。

因みに、遊女、花魁、女郎を使い分けているのも興味深いところです。

そして、噺を聴きながらもう一つ感じていること。
それは、私が好きな噺家さんはいずれも鼻濁音が奇麗だということです。
今は意識することもなくなってしまった「鼻濁音」。
日本語の文化として残しておきたいものの一つです。