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音楽の雑記①

クラシック音楽って誰がやっても一緒じゃないんですか、とときどき聞かれることがある。
ポップスやジャズの人からすると、アレンジできないのにどうやって個性を出すの?と思うみたいである。
少しだけジャズを習っていたことがあって、
「クラシックとジャズは何が違うんですか?」
と聞いたわたしに、先生は、
「基本的には同じじゃないのかなぁ」
と答えたあと、
「リズムが違うのは大きいかな」
と呟いた。
たしかに、リズムの取り方は大きく違う。でも、音楽でも近現代に近づくと、ジャズのような要素を含んだ曲もたくさん出てくるので、明確な線引きはできないような気がする。
そのあとしばらくしてからジャズの先生は、何があったのか知らないけれど、
「やっぱり、ジャズとクラシックって違うんだねぇ」
としみじみ言った。

クラシック音楽は楽譜を再現するもの、という見方ができる。
楽譜通りに演奏する、というのは基本である。その楽譜通りに、というのがけっこう難しいのだけれど、それからさらに音楽を深めていくために、楽譜の奥にある要素を読み取っていくことになる。
明確な正解はないけれど、これは絶対だめだろうなという解釈はあったりする。時代的にも、音楽的にもこれはNG、というような、たいがいこういうものは演奏者の都合によるものが多い気がする。(演奏しやすいように変えてしまう、みたいな)
もちろんそれはご法度だけれど、それも表現の自由とのせめぎあいなんだろうなと思うから、難しい。
学生時代、ファジル・サイというピアニストが現れたときのことをよく覚えている。彼は鬼才とか異端児とか言われていて、クラシック音楽をアレンジしたり、バッハを独特の解釈で弾いたりしていた。
わたしはすごく好きだったけれど、ピアノ科の友人は、
「先生は嫌いみたいだから、絶対聴くなって言われてる」
と言っていた。友人の先生は外国の先生だったのだけれど、
「あいつは悪魔だ」
みたいなことを言ったそうである。
わたしはピアノ科ではなかったので、いいものはいいやん、なんで?と思っていたけれど、師匠というのは絶対的な存在だったので、友人は複雑な気持ちだっただろうなと思う。
今、どうなってるかなと思ってファジル・サイと検索したら出てきた。普通に今でも変わらず、あのスタイルで演奏してるみたいだった。
椅子に座ってすぐ弾きはじめる、そんな感じも好きだ。
当時は叩かれたりして大変だっただろうな、でもよかった、残ってくれて、と思った。ちなみにウィキペディアには父親は小説家と書いてあってそれもびっくりした。
よければ何でもいい、と言ってしまうのは乱暴かもしれないけれど、いいと思った自分の気持ちに嘘はない。
久しぶりにCDを引っ張り出そうかなと思った。

◎写真はみんなのフォトギャラリーからお借りしました

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