ねじけた流れ
台所の水が流れにくくなってきているのに気づいていて、それでもだましだましその場しのぎの掃除をしていたけれど、ついに今日、高圧洗浄をしてもらった。
重要な部分であるにも関わらず、配管は見えないようにできている。うちはどうやらちょっと変わっているらしく、配管が長いのと、高配が上手くいっていなくて詰まりやすくなっているようだった。
一時間で終わりますと言っていた業者のお兄さんは雨でびしょ濡れになりながら、「台所だけで一時間かかりました」と息を切らせていた。そして、配管の形になって出てきた油のかたまりを見せてくれた。
こんなのが詰まってたらそりゃ水は流れないわと思った。
お金を払い、見えないところではあるけど水回りがきれいになったことにほっとした。冬は気温が低いし油も固まりやすいから、いつ詰まってもおかしくないと内心どきどきしてしたのだった。
詰まっていた油の形を思い出しながら、感情も同じようなものだなと思ってみる。
最近、夫と言い合いになったことを思い出した。
「お前は偏屈だ」と言い放った夫に何も言わなかった。言えなかったのではなく、言わなかったのだと思っている。そんなことないとは思っていないし、夫はわたしに比べると全く普通の感覚を持った人間だと思うから。
偏屈、と調べると「素直でなく、心がねじけていること」と書いてあった。ねじける?ねじけるって何?
なんだかおもしろくて笑ってしまう。わたしはねじけているらしい。
そうかもねと思う。
ほんと、いつか詰まるのかな。それとも爆発するのかな。
ねじけたぶんだけ、元に戻るために何かが起こるのかもしれない。一瞬で元に戻るとも思えないけども。
水を流したときのゴボゴボ音がしなくなった。すっと流れていくのが普通なのだと今更気づく。
見えないから、耳を澄ませる。
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