過去生の物語(1)
舞台はオランダ。チーズを作る女性の物語です。
私の仕事は朝早くから始まる。
隣の村から運ばれてくる、桶いっぱいのミルクをいくつも、作業場にある素焼きのかめに移す。
ミルクを持ってくるのは父の昔からの知り合いの男性だ。
いつも彼が牧場の新鮮なミルクを快く分けてくれるのは、私のことを心配してくれているからだと知っている。とても感謝しているけれど、私はいつも彼にうまく微笑みかけることができない。それは彼の姿の後ろに父親の姿を見てしまうからだ。
彼にはとても無表情な愛想のない女に見えていることだろう。いつも親切にしてくれるのに申し訳ない気持ちになる。
大きな木のヘラで火にかけたミルクをかきまぜる。毎日毎日同じ作業だ。でも、毎日毎日違う。人から見たら、昨日も、おとといも、一年前も、私のやっていることは全く同じように見えるだろう。とても退屈な作業に見えるかもしれない。でも、私はこの作業に退屈したことなんて、ただの一度もない。昨日はもっと早くミルクの様子が変わったし、おとといは昨日とはまた違った。毎日ミルクの白い液面を見ていると様々なことがわかってくる。
父親はいつも、女は役に立たないと言っていた。この世で素晴らしいのは男であり、力もあり有能な働き手である、と。役に立たない女は学校で学ぶ必要もないし、できるだけ早く嫁に行き、家から出るのが一番良いことだ。
そんなふうに言っていた。
私は父の言動にいつも腹を立てていた。でも私は黙っていた。賢いからだ。
自分で自分のことを賢いというのは、大変なおごりであるということはわかっている。でも、私は父の言葉の向こうに見える自信のなさや、虚栄を張らねば人と接することができない弱さに気づいていた。弱い人間というものは、こうして力を誇示して、自分より力の弱いものをねじふせて、それでどうにか自身のプライドを守り生きていくしか方法がないのだろう。
私はそれがわかっていたのだ。
私は違う。女だけれど、自分は父が言うような役に立たない人間ではないと思っている。学校に行かせてもらえないのであれば、この体を使ってたくさん働き、自分のやるべきことをしっかりとやろう。
結婚が理由でなく女が村を出ることは、ほとんどない。だから村を出るのは、とても難しいことだった。父は怒り、最後は逆に追い出されるように家を出た。
近くの村に小さく粗末な小屋を借り、そこでチーズ作りを始めた。チーズは当たり前だけれどミルクがないと作れない。そこで私は父の友人を頼り、ミルクを分けてもらうことにした。
幸運なことに私は新しい土地で、隣人に恵まれた。私がチーズを作っていることを知った近所(と言っても家は遠いのだが)の女性たちが、チーズを買いに来てくれるようになったからだ。
私が作るチーズは何も特別なものではなく、どこの家でも作っているようなものだけれど、なぜか私のチーズはみんなに好まれた。
それは私がチーズをいつも熱心に作っているからではないかと思っている。
良いチーズができるように、私は決して手を抜かない。だからきっと家で作るものとは少しちがうのだろう。
不愛想な私は、チーズを買いにきてくれる女性たちにも愛想よく接することができない。でも、本当はとてもうれしく思っているし、感謝もしている。
学校には行かせてもらえなかった。でも、私は40歳近くになってわかったのだ。
知識というのは、経験と同じなのかもしれない。
経験は知識として、私の中に溜まってゆく。
私はチーズのことをたくさん知っているし、それをかたちにすることができる。
それをみんなが買いに来てくれるということは、私の知識が誰かの役に立っているということではないか。
私は役に立たない人間ではないのだ。
仕事が終わり、夜になると、私は熱いお湯で体を拭く。
お湯の熱が皮膚から体の奥にしみこんで、とてもよい気分だ。
私はこの瞬間にとても満ち足りた気分になる。
今日も一日よく働き、満足だ。
***END***
このお話のテーマは“周囲の愛”です。
ミルクを分けてくれる父親の友人がいますが、彼は父親に彼女の話をするでしょう。父親もずっとミルクを届けてる友人を止めません。
彼女は気づいていないかもしれませんが、本当は父親に愛されているのです。
また、彼女は自分の不器用さにばかりフォーカスしていますが、チーズを買いにきてくれる近所の女性たちも、実はチーズだけでなく彼女のことも気に入っているのです。
毎日一生懸命でいると、なかなか身近にある愛に気づかないこともあります。でも、いつでも周りの人々は彼女を愛し、応援しているのです。