過去生の物語(9)
舞台は少し古い時代のアメリカ。人が大好きな青年実業家の物語。
青い空、デッキチェア、アルコールの入った軽い飲み物、時折乾いた風が吹く。
「ねえ…」
柔らかな甘い声。肩までのブロンドの髪をきれいに巻いた美しい妻。
「ねえ、ちょっと“あの子”の様子がおかしいの。ちょっと来て見てくれない?」
僕は少し慌てて部屋に入る。
どうした?さっきフードは食べていたろう?
“あの子”とは僕たちが飼っている犬だ。ポインターという種類の少し大きな犬。
大丈夫だろう?ただ寝ているだけだと思うよ。日射しに当たって少し疲れただけなんじゃないかな。
「そうかしら、そうだといいけれど…ミルクをあげてみようかしら」
鮮やかなピンク色の、大きな柄の入ったワンピースはリンダのお気に入りだ。真っ白のエプロンは、彼女が“家にいます”というときの、なんというか、しるしみたいなものらしい。彼女のお母さんがいつも家で白いエプロンをつけていて、“妻”になったら彼女もそうしたいとずっと思っていたらしい。
彼女はエプロンをただつけているだけではなくて、家事もしっかりとこなして家は清潔で片付いていた。
手伝いを雇うのは、庭周りのことだけで、彼女はこの家のことをこまごまとやるのが好きなようだった。
美しい妻、大きな家、手入れの行き届いた庭、賢い犬。
完璧だった。
そう、完璧なのだ。
・・・完璧すぎて飽きた!!!!!
僕はもう気が狂いそうになるほど、完璧さに飽きていた。
元々下町でたくさんの友達に囲まれて育ってきた。たまたま友達と興した金属でネジなどの部品を作る仕事が大当たりし、僕は20代そこそこで仕事の仕組みを作ってしまった。
僕が会社にいなくても、仕事はきちんとまわり、問題が起きたときや大きな交渉事のときに、対応に当たるだけで、だいたいのことは済んだ。
仕事で成功した者は、郊外に大きな屋敷を構えるだろう?僕も同じように考えた。郊外に居心地のよい家を建て、そこで優雅に暮らすんだ。
同級生たちはまだまだ“下っ端”か、良くて“中堅”クラスで忙しく働いていた。
友達連中は、最初大きくてのびのびできる僕の家に遊びに来ていた。休みの日にパーティーをしたりね。
でも、それも毎週というわけにはいかない。彼らは彼らで別の楽しみもあるし、仕事が休みの日は小旅行にも行くし(僕の家に来るのも小旅行のひとつみたいなものだった)家族との時間も大切だ。
休みの日?
休みの日ってなんだ。
僕の休みの日っていつ?
毎日?毎日休みってなんだ?
僕は飽きた。とうに認めている。降参だ。
何に飽きたって、今の全てに、だ。
僕だけが飽きているわけではない。リンダだってきっとそうに違いない。彼女は気づいていないと思うけれど、時折“つまらない”って空気を発してしまっている。
もしかして彼女自身は、つまらない、飽きたということに気づいていないかもしれない。だってこの環境はどう考えても不満に感じる要素がないからだ。
でも、何かが、ちがう。
僕は人がいるところに帰りたい。
雑多な人波、刺激的な広告、ちょっと声をかけあって寄れるバー。笑いの絶えない仲間たち。
もちろんここからだって、街に行けることは行けるけれど、郊外からわざわざ出向くのは少し億劫な気もした。だからよけいにその環境から遠のいてしまったんだ。
今までは家からちょっと出ればすぐに見知った顔があったのに。
街に戻ろうか?
そう言ってみようか…。
リンダの、きょとんとする顔が目に浮かぶ。
でもきっと彼女はそのあと吹き出すよ。
***END***
この物語のテーマは「本当に好きなもの」です。
仕事で成功して、念願だった生活を手に入れたはずなのに、なぜかちょっと飽きちゃった!
街にいる人々の活気や熱気が懐かしくて、戻りたくなっちゃう。
本当に好きなものって、ちょっと離れてみると、よりはっきりわかるものなのかもしれません。
そんなときは軽やかに好きなものの元へ帰れるといいなぁ。