虹を描くお仕事─ノアさんのおくりもの
幼い頃の娘が、ある日言った。
「ママにあうまえ、おそらにいたの」
言葉を話し始めた頃にそういうことを言う子どもがいると聞いていた。胎内記憶なのか、空想なのか、頭の中にあることを言語化できるようになり、大人が口にしないような不思議なことを言うのだと。
「お空で何してたの?」
その日を楽しみにしていたわたしは、はやる気持ちを抑えて聞いた。すると、娘は言った。
「にじをかくおしごと」
恋ぞつもりてノア膝絵巻
虹を 描く お仕事。
大人のわたしが逆立ちして頭をマヨネーズ絞りしても捻り出せない答えだった。子どもの頭の中には童話の世界が息づいているのか!
母によると、わたしは即興でお話を作る子どもだったらしい。覚えたてのひらがなで読み上げた絵本の最後のページを開いたまま、物語の続きを語っていた。頭の中で登場人物たちに会話させ、それを実況しているようだったという。
幼少期からの妄想力は、物書きになった今、役に立っている。子どもが考えそうなこと、言いそうなセリフも書いたりするが、頭で考えている。天真爛漫な思考回路は大人の階段を上る途中で置いてきてしまった。
でも、ときどき、子どもの心を携えたまま階段を上ってくる人がいる。そんな一人がノアさんだ。
わたしが書いた短編小説「膝枕」とその派生作品の朗読リレー(通称「膝枕リレー」)が2021年5月31日からclubhouseで続いている。
ノアさんは、その113番目の読み手としてデビューした。ルームの進行役を買って出てくれた膝番号13の小羽勝也さんとは膝の差100。
ノアさんと膝枕リレーをつないでくれたのは、伊藤富士子さん(膝番号25)。clubhouseの百人一首のルームで知り合ったという。富士子さんとわたしが戯れに始めた百膝一首(百人一首に膝をねじ込む遊び)では、膝番号にちなんだ和歌に、その人のネタを入れ込むということをやっていた。
2022年1月19日に開いたルームでノアさんと一緒に百人一首13番に「ノア入れ」をした。
筑波嶺(つくばね)の 峰より落つる 男女川(みなのがは)
恋(こひ)ぞつもりて 淵(ふち)となりぬる
という陽成院の和歌の「淵となりぬる」を「ノア膝絵巻」に変えて、
筑波嶺の峰よりおつる男女川
恋ぞつもりて ノア膝絵巻
膝枕語訳は「筑波山の頂から流れ落ちる水が川になるように、デビュー以来、果敢に朗読を重ねる私、ノア。私、絵を描くんです。膝枕の絵を描こうかな。恋が積もって、渦巻いて、膝枕絵巻になりそう」。
「恋ぞつもりてノア膝絵巻」をなぞるように、ノアさんの「膝枕」への「好き」は募り、渦巻き、カラフルな絵巻を描くことになる。
「好き」の蛇口が開いた
2022年4月19日、ノアさんは「膝枕」外伝「ジョジョ風膝枕」を発表し、二次創作リレーにデビューした。
ノアさんは「好き」に任せて「好き」なものを書く。子どもが画用紙にクレヨンを走らせるように。「好き」がエンジンになり、ナビになる。
最初に書いた「膝枕」外伝は、すでに自由で勢いがあった。でも、「好き」の蛇口はまだ本開きになっていなかった。続く「膝枕」外伝「ノアの膝枕へのlove letter」で、ノアさん(自称「Nワニ」)はマミワニこと宮村麻未さんを褒めちぎっている。
Nワニのマミワニ愛は熱海の海より熱い。膝枕リレーに集う膝枕erたちもノアさんの「好き」熱量のただならなさに気づき始めていた。
2022年6月20日に発表した「膝枕」外伝「優しい膝枕[RAIN]編」は、実験的に嫉妬をテーマに書いたものの結局ウルトラポジティブになっているのがノアさんらしい。
2022年7月24日に発表された「幽浜」は、わたしが「膝枕」に古典落語「芝浜」を入れ込んだ外伝「膝浜」のそのまた外伝。ノアさんは「好き」が多すぎて収拾がつかなくなっているさまをバイキングに喩えている。
「ヒマな神様」誕生
ノアさんが2022年10月19日に発表した「復活の膝枕」〜叛逆のマダムマサコ〜は、わたしの書いた「流しのMCフジモト」シリーズ第2弾「脚本家をヨイショするの巻」に登場する、わたしがモデルの面倒くさい脚本家マダムマサコにあて書きしている。
この作品の中で、ノアさんはclubhouse「膝枕」リレーへの愛も語っている。
「世界だった」と過去形で書いたことに対して「と言う事は今と違う世界。では現在は?どうなっているのだろうか?」と自分でツッコミを入れている。
ノアさんの書くものは時間の移動も気ままで、今が過去にも未来にもなる。目の前のことに夢中になる子どもっぽさと、人生のこもごもを俯瞰で見るような達観が共存している。
2023年12月17日にはマダムマサコが登場する膝枕外伝第2弾「帰ってきたマダムマサコ」を発表。「帰ってきたら膝枕の神様?になっちゃってたよ編」とサブタイトルがついている。
マンゴーパフェを食べに行ったエピソードは実話だ。膝枕erさんたちと4人で美しいマンゴーパフェを分け合った。気分は王族だったが、王を超えて神にされていた。たしかに、わたしたちのテーブルを見守るように神秘的な面立ちの彫像が微笑んでいた。マンゴーがパフェやジュースに化けるように、ノアさんはあの日の時間を物語にして、振る舞った。
マダムマサコはわたしが書いた作品の中でもかなり面倒くさいキャラなのだが、ノアさんの作品の中では、面倒くささがさらにこじれて煮詰められている。
「たまには私だって買い物行きたいもん。銀座や渋谷、表参道、下北沢も楽しそうね」とワガママを言い、神様なんだから勝手に持ち場を離れられては困りますとお付きのコバルン(膝番号13 小羽勝也さん)が引き止めると、神様はヒマだとぼやき、何十年何百年も同じところにとどまって、これじゃあ引き篭もり生活だと嘆き、「神様が引き篭もりって不健康よ!絶対!」と鬱憤をぶちまける。「そんなに退屈してるなら原稿書けばよろしいかと」とコバルンが進言すると、「誰が読んでくれるの?」と噛みつく。実に実に面倒くさい。
ふじこ神(膝番号25 伊藤富士子さん)、コマリ神(膝番号35 紙芝居師のこまりさん)、あつこ神(膝番号68 中原敦子さん)、サトジュン神(「占い師が見た膝枕」シリーズ作者のサトウ純子さん)も登場。「これからは10年に1回ぐらい、みんなで集まらない?神様ってあまり横の繋がり、ないものね」というサトジュン神のセリフに、ノアさんの頭のやわらかさを感じる。
「好き」がダダ漏れ
ノアさんの面白さにいち早く気づき、一緒にルームを開くようになったのが鈴蘭さん(膝番号130)。ノアさんの作品の膝開き(初演)に名乗りを上げ、コラボ朗読と、その何倍もの時間のトークを共にする。このふたり、実に楽しそうで、教室の後ろの席で永遠におしゃべりを続けるクラスメートのよう。時には過熱し暴走するノアさんの熱量に臆することなく、鈴蘭さんは絶妙に相槌を打ち、話をつなげる。
2022年6月24日、 ノアさんと鈴蘭さんで「優しい膝枕」【RAIN編】。
2022年10月29日、ノアさんと鈴蘭さんで「復活の膝枕」〜叛逆のマダムマサコ〜。
ノアさんの「膝枕」外伝以外の作品も一緒に朗読。ナビコ膝枕を読んだルーム(2023年3月22日)。
2023年6月27日にノアさんが発表した「ヒザコッチ ひさこっち編」は、こもにゃんさんが膝枕リレー2周年を記念して発表した「悪魔の膝枕」から思いついた「膝枕」外伝で、鈴蘭さんがモデルの喫茶店のマスターが登場。
マスター鈴蘭のいる喫茶店に「オーディション落ちたー」と膝浜学園に通うアイドル志望の順子がやって来る。順子のモデルは「順子さんは私のアイドルなので!」とノアさんが言って憚らない鈴木順子さん。
2023年8月5日には「山月記」に膝と鈴木順子さんをねじ込んだ膝月記「順子さんと膝枕くん」を発表。
アイドル順子さんへの愛が止まらず、2024年1月17日には「順子さんと閻魔大王」を発表。
ノアさんと鈴蘭さんが「順子さんと閻魔大王」を読んだルーム(2024年1月22日)も愛が過剰だ。
「好き」を出し惜しみしない
大人が照れたりカッコつけたり冷静になったりして言わないようなことをノアさんは素直に口にする。相手に面と向かって「好き」と言う。「好き」を込めて外伝を描く。絵も描く。
その熱量に膝枕erたちは圧倒され、時には後退りしていた。眩しすぎて、どうしていいかわからない人もいた。
わたしにも「好き」を連発して周囲を圧倒していた頃があった。
今からさかのぼること数十年。1年間のアメリカ留学から帰国し、通っていた高校に2学期から復学した。「今日のシャツいいね」だの「今日は顔色がいいね」だの、まず相手のほめるところを探して口にする習慣がついていた。ほめるところが見つからなかったら「今日は気持ちのいい日だね」と天気をほめた。天気の良い日に居合わせた自分たちの運の良さをほめた。
ある日、同級生に言われた。
「あんたの『好き』はあてにならんわ。何でもかんでも『可愛い』『面白い』てほめるから」
冗談っぽく言われたのだが、そうか、貨幣と一緒で、「好き」を連発すると値打ちが下がるのかと気づいた。以来、ほどほどに使うようになった。「好き」の適量を知り、大人の階段を上った。
実は「好き」は貨幣と一緒じゃないと気づいたのは、コピーライターになり、広告はラブレターだと知ってからだ。お金は使えば減るけれど、「好き」は「好き」を呼ぶ。複利でふえる。だから出し惜しみしなくていい。
脚本を書くようになって、ますますその気持ちが強くなった。原作も取材先もプロデューサーも監督も出演者も、好きになるところから始める。まず「好き」の根っこを張り、そこから茎が伸びて花を咲かせ、振り向かせた人に「好き」を届ける。実が膨らみ、種を落とし、「好き」が広がる。
脚本を教えるときも、「好き」をどんどん見つけて伝えるようにしている。だから、人よりも「好き」を口にしていると思う。だけど、ノアさんにはかなわない。
すべての表現はラブレター
2024年2月13日、バレンタインデーの前夜に「口説き上手はチャンスをつかむ! 脚本発想で書くラブレター講座」と題してオンライン講座を開いた。
「鉄は熱いうちに打て」を実践し、人にもけしかけ、「ヒザゲリクイーン」の異名を持つ下間都代子さん(膝番号3)が主催する耳ビジ講座に声をかけてもらった。
その中で「共感上手は受け止め上手」「受け止め上手はつなぎ上手」という話をした。近づきたい相手に「私たちの物語はすでに始まっている」、つまり「エピソード0」を伝えられたら、とっかかりを作れて次につなげられる。
都代子さんとの出会いから講義の実現に至るまでがラブレターの往復書簡だった。
clubhouseで都代子さんの声に惚れ、clubhouseのルームで「本を朗読させてくれるビジネス書作家さんを探している」と言う都代子さんに「わたしは書いてませんが、書ける人を知ってます!」と川上徹也さんと鶴野充茂さんを紹介したら、都代子さんにあて書きの朗読作品を頼まれ、「たゆたう花」が生まれたのが2021年の春。
さらに「看板の読めないBAR」「酔ったフリして好きって言わせて」が都代子さんへのあて書きで引き出されたのだが、2023年の秋に大阪の心斎橋大学での講義に呼ばれて「看板の読めないBAR」の話をすることになり、打ち上げの食事に都代子さんを誘ったところ、「今度耳ビジでも講義を」となり、その場で「ラブレター」というキーワードが出て、「じゃあバレンタインデーの前日に」となったのだった。
この講座を受講した感想をノアさんがnoteに綴っている。
「すべての表現はラブレター」
本当にそう思う。感想もまたラブレターなので、「あれもこれもラブレターだったのかと気づいた」というラブレターをノアさんから受け取ったことになる。伝えたかったことが届いてうれしい。というわたしの「感想への感想」もまたラブレターで、やはり「好き」は循環する。
受け取りそびれていたラブレター
ノアさんの「ラブレター」noteを2024年4月16日に下間都代子さんが朗読した。その数日前にnoteに目を留めていたという。開いてみると、自分が主催した耳ビジ講座の感想だった。2月に書かれたnoteが2か月経ってnoteのおすすめに表示されたのは、下間さんとつながりのある人たちの何人かがそのnoteを見ていたからだった。ノアさんが亡くなったという知らせを受けて。
ノアさんは、3月の末に亡くなっていた。ノアさんと連絡を取り合っていた一人が、ご家族から知らせを受け取った。
3月の半ば、「今病院のベットの上にいます」と膝枕erたちのオープンチャットにノアさんの書き込みがあった。「右足の治療をしています」「ひょっとしたら手術になる可能性も」と書かれていた。
日付は3月13日。帰ってくるまで場所を温めておきます、とコメントが次々とつき、ノアさんは一人一人に返信をした。返信は翌日3月14日まで続いた。その日を最後にオープンチャットへの書き込みは途絶えた。
「右足の治療」と書いたのは、心配をかけないためだったのかもしれない。膝枕リレーでデビューしたとき、大変なことに挑んでいることは聞いていたが、すでに闘病中で入院と退院を繰り返していたという。そんなことを感じさせない人だった。
ノアさんが亡くなったことを膝枕erの皆さんに知らせる前に、とくに親しくしていた人たちに個別にお伝えした。
「ノアさんに出会えて良かったです」と鈴蘭さんは返信をくれ、「こちらノアさんの最新作の外伝です。よろしければnoteに追加してくださると嬉しいです」と知らせてくれた。ノアさんの最新外伝をnoteの膝枕マガジンに加えそびれていたことに気づいた。
「多分今回の外伝が10作目?ぐらいですね。🤭膝枕1000日連続って素晴らしいと思います。皆さんのご縁と繋がって、別の意味で私たち離れられない運命なのでしょうね?」と冒頭に書かれている。数えてみると、11作目だった。オープンチャットには「今回の膝枕外伝は1番軽く気分転換も兼ねて書きました」と書き込んでいた。
noteの日付は2024年3月12日。これが最後のnoteになったのか……と思ったら、その後にもう一つ公開されていた。
タイトルは「こぎつねヘレン」。わたしが脚本を書いた映画『子ぎつねヘレン』の感想が綴られていた。ヘレンの絵も描かれていた。日付は3月16日。オープンチャットの最後の書き込みの2日後にラブレターを書いてくれていた。
「ヘレン」を「ノアさん」に変え、感想への感想というラブレターを贈りたい。
おくりものをおくりあう世界
映画『子ぎつねヘレン』から生まれた絵本『子ぎつねヘレンの10のおくりもの』にサインを求められると、わたしはこの言葉を書く。
「生きることはおくりものをおくりあうこと」
膝枕リレーは、「おくりものをおくりあう」世界だ。お互いを面白がり、拍手を贈り合う。励ましや慰めの言葉をかけ合う。
ノアさんが無事に虹を渡れるようにと、膝枕つながりの人たちが連日clubhouseでルームを開いて、ノアさんを偲んで朗読したり語ったりしている。
4月10日、鈴蘭さんはノアさんの「膝枕」外伝全11作品を朗読。
宮村麻未さんは「ノアさんがマミワニを好きだと言ってくれたから、絵本『わにのだんす』を毎日読む!」と決め、一人で読んだり、ワニセブン部屋(4月13日)やトリプルワニ部屋(4月23日)を開いたりしている。
中原敦子さんはマダムマサコ外伝を朗読し、鈴木順子さんは「こぎつねヘレン」のnoteを朗読し、集まった人たちもチャットに気持ちや思い出を寄せる。ノアさんはそこにいないけれど、いる。
そろそろ虹の向こうに着くだろうか。
「いま、空の上で虹を描く仕事をしてるんですよ」
飄々とそう言うノアさんが思い浮かぶ。虹を描く。ノアさんにぴったりな仕事だ。
虹の向こうにもヒマな神様がいて、ノアさんが来たら、ちょっと虹を描いてよと言う。「あ、いいですよ」とノアさんは軽く請け負い、生まれる前の子どもたちにまじって、空いっぱいに虹を描く。好きな色で、好きな形で、好きなペースで。
なんだなんだ、今日の虹はやけに自由じゃないかと空を見上げて人々が驚く。それはノアさんのお仕事なんですとわたしたちは笑う。
虹の続き
4月25日、いつもいち早くnoteを見つけてくださる鈴蘭さんが、こちらのnoteをclubhouseで読んでくださった。その後、ちょこちょこ加筆しているので、公開時の内容はこちらでどうぞ。
4月29日、サトウ純子さん「占い師が観た膝枕2」シリーズ新作「レインボー膝枕編」が誕生。