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ろう者の長谷川翔平さんと那須映里さんの手話演劇ユニット「ニューバシ」の第2回公演「オワリマス」を6月に観た。


「手話が不自由な人」への情報保障

第1回公演「ふたり」のプロットを那須映里さんが思いついたのが、わたしが講師をしていた脚本講座の帰りの電車の中だった。「挙式当日、花嫁が目を覚ますと元カレと手錠でつながれていた」という発想が秀逸だった。いくつかアドバイスしたが、ろう者あるあるが盛り込まれ、本番は想像のはるか上を行く面白さだった。

手錠でつながったままトイレに行かなくてはならない非常事態の中の緊急事態。手錠でつながれていないほうの片手同士の喧嘩。それぞれにビデオ電話がかかってきて、もう一人が映り込まないように気をつけながら片手でなんでもない風を装って会話するカオス……。

全編手話での上演だったが、脚本の開発過程に首を突っ込んでいたおかげで、内容について行けた。

「上演台本の貸し出し」にも助けられた。観客の大多数が「手話を第一言語とする」人たちで、「手話が不自由」なわたしはマイノリティだった。情報取得のバリアを越える手助けとして、台本貸し出しによる情報保障が行われていたのだった。

ト書きに出てくる「VV」とは?

ニューバシ第2回公演「オワリ〼」の脚本には関わっておらず、予備知識は「前回とは全く違う話」ということだけだった。今回も台本の貸し出しはあったのだが、会場に着いたのが開演ぎりぎりで、駆け足でページをめくった。

すると、「VV」という見慣れない用語がト書きに何度も出てきた。「〜の様子をVVで表す」のように。VVとは表現手法であるらしい。VはVisualだろうか。Virtualだろうか。

舞台が始まり、「これがVVか!」と見て理解した。

一つ一つの動きは手話の単語の意味とは対応していないのだが、空間の使い方や緩急のつけ方で意味合いが変わるという手話の特長が出ている。というより凝縮されている。

ある人物や風景や状況を体で表すパントマイムとも違う。パントマイム的な部分もあるのだが、「見たことがないものを見ている」という驚きがあった。

クローズアップとロングショットの切り替えに加え、カメラアングルが自在に変わり、主観と客観を行ったり来たりする。それにより、「歩いている主人公の目に映る、流れる景色」といった合わせ技が可能になる。さらにハイスピード(映像的にはスローモーション)を挟むこともできるし、モンタージュ(点描)もできる。

身体表現に「カメラの目線」が加わり、舞台表現なのに映画を見ている感覚に近い。

脚本講座では「おでこにカメラをつけて、カメラに映るものを書く」と教えているのだが、手話を第一言語にする人たちは、「おでこにカメラ」の感覚がすでに身についていて、距離やアングルやスピードの切り替えを無意識に自在に行える人が多い。それをさらに磨いて尖らせたのがVVという形ではないかと理解した。

そう言えば、脚本は「映像の設計図」なのだが、講座で一人ずつ前に出て脚本を発表するとき、那須さんの発表は、すでに映像になっていた。

「手錠でつながれた男女」の成功に気を良くしてシリーズ第2弾を打つのではなく、VVで新境地を見せてくれたニューバシ第2回公演の開拓精神に拍手。と同時に「VVをもっと知りたい」と思った。

VV=Visual Vernacular(ビジュアル・ヴァナキュラー)

VVとはVisual Vernacularのことだとわかった。

vernacular には「(書き言葉に対しての)話し言葉」「自国語」「現地語」「お国言葉」「仲間内の言葉」といった意味があるらしい。形容詞も同じスペル。

京都国際舞台芸術祭2024のサイトの《提携プログラム「Gathering in a better world – Visual Vernacular」アーティストインタビュー》で那須映里さんがVVについて語っているのを見つけた。

「デフアートと呼ばれるパフォーマンスのひとつで、見ることを中心とした視覚的な表現方法」「 聞こえても聞こえなくても、全世界の人が見て楽しめるもの」であり、「手話ポエムであれば、手話の単語や言葉を使うのですが、VVの場合は手話単語など言語としての恣意性が高いものは使わない」と語っている。

さらに、ろう者と聴者のバリアをなくす。那須映里さんが「手話エンターテイナー」を名乗る理由という2022年12月の日本財団ジャーナルの記事を見つけた。

「手話をアーティスティックに表現したビジュアルバーナキュラー(以下、VV※)といったパフォーマンスにも挑戦しています」と那須さん。以前からVVに取り組まれていたらしい。

「※手話の視覚的な表現のみを用い、詩やパントマイムの要素を取り入れ、緩急、リズム、ズーム、視点の切り替えなどの技術を組み合わせて表現する視覚的なアート」と補足がついている。

VVでNO MORE HIROSHIMA

日本財団ジャーナルの記事の中で「"No more Hiroshima" Visual Vernacular」というタイトルのYouTube動画を知った。

原爆投下の日の朝の広島と、その上空に近づくエノラ・ゲイがカットバックで描かれる。標的の先にあるのは、何も知らない市民の日常。

そこに原子爆弾が落とされる。

その瞬間、

その後。

傷つけられたもの、奪われたものが研ぎ澄まされたカットのように連なり、積み重なり、うねりを生み出す。

VVとはどういうものか。この映像を見ていただくと、よくわかると思う。

冒頭、映像タイトルを紹介するところは手話だが、あとはVVで、手話の単語や文法を知らなくてもストーリーを追うことができる。言語の違い、国境も越えられる。

「オワリ〼」を観た後、すぐにVVのことを書こうと思ったのだが、「感想はネタバレに注意」と呼びかけられていたので、「VVのことを書いてもいいですか?」と那須さんに確認したところ、「どうぞ」と言っていただいた。

ネタバレを気にしていたのに、公演終了からひと月余り経っても書きそびれ、タイミングを逃してしまっていたが、8月6日の原爆投下の日を前にnoteを公開する。

VVと手話エンターテイナー那須映里さんを知ってもらい、NO MORE HIROSHIMAの想いを強くしてくれる人が広がりますように。

『絶後の記録広島原子爆弾の手記』について書いたこちらのnoteもぜひ。

タイトル画像の原爆ドームと空

タイトル画像は「みんなのフォトギャラリー」で「原爆ドーム」を検索し、おかのくらさんにお借りしました。

原爆ドームの向こうの空に想像をかき立てる余白を感じ、このnoteにぴったりだと感じました。ありがとうございます。


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脚本家・今井雅子📻聴き逃し配信中「世界から歌が消える前に」📚11/30座・高円寺リーディングフェスタ
目に留めていただき、ありがとうございます。わたしが物書きでいられるのは、面白がってくださる方々のおかげです。