パンひとつの値打ちもない芸
「今日すごくショックなことがあって」
バルの隣の席で彼女が切り出した。
「午前中、イベントに呼ばれて紙芝居をしてきたんですけど、投げ銭がたった310円で」
彼女はプロの紙芝居師だ。
ハロウィンが近いので、カボチャ大王が出てくるオリジナル紙芝居をやった。カボチャ大王に送り込まれたモンスターをみんなで声を合わせてやっつけた。盛り上がった。期待した。ところが、カボチャ色のバケツに入れられた投げ銭は、10円が1枚と50円玉が2枚と百円玉が2枚だけだった。あわせて310円。
「私ってパンひとつの値打ちもないのかなって」
パンひとつの値打ち。
そんな感じの歌詞があったなと思い出す。
あれだ。寺尾聰のルビーの指環。
枯葉ひとつの重さもない命。
「お客さんがいないんだったら仕方ないですけど、たくさんいたんです。大人もいたんです」
なのに310円。
それは落ち込むねと同じテーブルの人たちが口々に同情する。
30分紙芝居して310円。
お菓子も配ってる。
交通費もかかってる。
そして、何日も前から準備している。
絵を描いて、改良して、稽古して。
何時間もかけて練り上げている。
30分の紙芝居には、何日、何週間前からの何時間、何十時間が詰まっている。
たまたまその金額だっただけなのかもしれない。そんな日もある。そんな日が続いたらたまらないけど、一日でも落ち込む。やってられない。やめようかなと弱気になる。
「パンのイベントだったんです。こだわりのパンがいいお値段で売ってて400円とかするんですよ」
それでパンと比べて落ち込んだわけか。
パンひとつの値打ちもない芸。
パンひとつの値打ちもない私。
パンひとつに400円を出す人たちが
紙芝居には何十人分あわせて、たった310円。
この違いは何なんだろねとテーブルの人たちと顔を見合わせる。
パンには形がある。
重みがある。歯ごたえがある。
使っている材料も見える。
何より定価がある。
パンひとつの対価が400円。
400円とパンを引き換える。
ひとつ400円のパンだから400円出す。
10円50円で買おうとする人はいない。
だったら紙芝居もパンみたいに値段をつけちゃう?
ひとり400円。子どもは半額。
それもなんだかね。
気まぐれに足を止めて、気に入ったら最後まで聞いて、気が向いた金額を置いていく。その気ままさも紙芝居の良さだったりする。
お金を入れてくれた人にだけお菓子をあげるのはどう? 最初にお菓子を買ってもらうのもいい。お菓子がチケット代わり。
それもなんだかね。
10円50円をバカにしてるわけじゃない。子どもがお小遣いから分けてくれる10円50円には値打ちがあるってわかってる。だけど、子どもの輪の後ろで見ていた親が、バケツに入れておいでと子どもに渡したのが10円50円だったから悲しいのだ。
子どもに大きなお金を渡すのが、はばかられたのかもしれない。募金箱や賽銭箱にチャリンと音のするお金を入れるのが楽しいように、子どもにとってはオマケの遊び。だから、おままごと感覚の小さなお金。
それはそれでいい。だったら大人は大人で、子どもの後から音のしないお金を入れてくれてもいいのに。
全員でなくていい。たった一人でもそういう人がいたら、千円の値打ちを見出してくれたんだなと胸が温かくなる。誰一人そういう人がいなかったことが淋しいのだ。
もしかしたら、先に入れた人たちが10円玉や50円玉だったから、後から入れようとした500円玉や千円札を引っ込めてしまった人もいたかもしれない。
誰かが最初に500円玉や千円札を入れていたら、続く人がいただろうか。サクラがいたら結果は違っただろうか。
それもなんだかね。
なんだかね。
なんだ、金。
お金が欲しいわけじゃない。もちろん欲しいんだけど、たくさん欲しいわけじゃない。いや、たくさん欲しいんだけど、お金のためにやってるわけじゃない。
お金のためだけにやってるわけじゃない。
0円の人も10円の人もいていい。100円だってありがたい。だけど、全部足し上げて310円という数字に凹む。あれだけ大人もいたのに。あんなにみんな楽しんでいたのに。
自由に値段をつけられるからこそ、ついた値段を自分への評価として受け止めてしまう。これっぽっちの投げ銭に、ちっぽけな芸だねと言われたみたいで傷つく。
さっきまで子どもも大人も一緒に笑い合っていたのは、私だけが見ていた夢だったのだろうか。潮が引くように手ごたえが消え、自分一人が浮かれていたような気まずさと空しさが残る。
違うよ。
バケツに入れたのが10円でも50円でも、もしかしたら0円でも、それはあなたの芸につけた値段じゃない。おいしいパンを食べたときみたいに子どもも大人も笑顔にした時間は、今も心の片隅を温め続けているかもしれない。紙芝居って面白いんだと知った子が次またどこかであなたを見つけてくれるかもしれない。
私の紙芝居にはパン何個分もの値打ちがあるって胸を張っていい。バケツに入りそびれた分は、どこかで発酵して、大きく膨らんで、おいしいパンになって帰ってくる。
その次の日。
空が見ていてくれたのかも。
コメントへの返信に《パンひとつの重みもない芸人から這い上がるべくがんばります!!》と書いている紙芝居師のこまりさん。たくましい。頼もしい。
こちらのページへの投げ銭は「紙芝居師こまちゃん」にお渡しします。
※10月24日追記。
サポート第一号が届きました。メッセージ(自分が言われたかのように励まされました)とともに紙芝居師こまりさんにお渡しします。また「サポートのボタンが表示されない」というお問い合わせをいただきました。アプリでページを開くと表示されないようです。noteカイゼン案件ですね。
※11月14日追記。
「脱!310円芸人」と発奮した、こまりさん。「紙芝居師こまちゃん」の紹介動画を作成。kamishibai artistとサブタイトルが。お話を作って、絵を描いて、物語を進めつつ役を演じる。二次元と三次元が合体した紙芝居という文化を届けるアーティスト。
動画を見るのも応援。拍手の代わりにイイネを。こまりさんが自信と誇りを持って活動を続けられますように。