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エージェンシーやらレガシーやら

「エージェンシー」というカタカナ言葉が流行っているらしい。セミナーやプレゼンなんかで連発されているらしい。

広告代理店(advertising agency)出身なので、エージェンシーと聞くと「代理店」と訳してしまうが、「若者のエージェンシーが高まる」にあてはめると、意味不明になる。若者の代理店は高まらない。

流行りのagencyは「主体性」という意味で使われているそうだ。

だったら主体性と言えば良いのではという気もするが、主体性とエージェンシーは微妙に違うのだろうか。レガシーを「遺産」と訳すと、昔のもの感が強くなり、「世代から世代へ受け継ぐ」というこれから感がこぼれ落ちてしまうように、エージェンシーはエージェンシーなのかもしれない。 

インクルーシブ(inclusive)を「包括的」「包摂的」などと呼んでいたけどしっくり来なくてカタカナに落ち着いたように。

障害者権利条約の日本語訳がないのなら

インクルーシブをどう訳すか。

以前そんな議論をした。

17年前、2007年5月14日の月曜日の昼下がり、遠山真学塾という数学教室で開かれた「障害者権利条約」の勉強会で。

その前月に別々の新聞で紹介記事を目にしていた。

2006年12月13日、国連総会にて満場一致で採決された障害者権利条約。2007年3月に国連本部で署名式があり、82か国が批准予定だが、日本は国内法が未整備という理由でサインをせず、政府の公式日本語訳もいつ上がってくるかわからない状況。ならば自分たちで訳しつつ、どんな内容の条約なのか勉強してみようと呼びかけているのが遠山真学塾という数学教室だった。

時は流れ、2014年にようやく批准、効力発生となった。

障害者権利条約は、2006年12月13日に国連総会において採択され、2008年5月3日に発効しました。我が国は2007年9月28日に、高村正彦外務大臣(当時)がこの条約に署名し、2014年1月20日に、批准書を寄託しました。また、同年2月19日に同条約は我が国について効力を発生しました。

外務省 人権外交

その頃わたしは手話講習会に通っていて、進級試験で障害者権利条約について問われた記憶がある。

数学教室で条約勉強会

話を2007年の勉強会に戻して。

数学と条約の組み合わせを意外に感じたが、自閉症、ダウン症、発達障害などの子どもたちに数学や算数をとっかかりにして学ぶ楽しさを伝えている塾だとわかった。

アンテナに2度引っかかったのも何かの縁と思い、早速問い合わせてみると、記事の反響で4月の勉強会は定員に達しており、5月はどうでしょうと言われ、ひと月待って当日を迎えた。

集まった8人ほどがロの字型に組んだ長机を囲み、まずは司会進行役を務める塾の主宰者、小笠毅さんが自己紹介。

「もともとは教育とは畑違いのところにいまして」

お菓子の不二家を辞めて再就職した出版社で担当したのが、「水道方式」と呼ばれる数学学習法を開発した遠山啓氏。その先生の教えを継ぐ形で学習塾を始めることになったという。

「まさか自分が子どもを教えることになるとは思ってませんでした。わっはっは」

「英語も全然わかりませんので、皆さんのお知恵を拝借と思いまして。わっはっは」

大きな声の関西弁で実によくしゃべる。裏表がなさそうな人だ。関西人の数学教師ということで、高校で数学を教えていた大阪の父とイメージが重なった。

inclusive educationをどう訳す?

続いて、配られた「Article24 -Education(第24条 教育)」の日本語訳を試み、「inclusive education」をどう訳したか、各自が発表。

「inclusive」はしばしば「包括的」と訳されるが、この日本語自体なじみが薄く、わかりにくい。

包むという字があるんで風呂敷みたいに包み込むイメージかなあと思ったりしてるんですが」と小笠先生。

みんな一緒の教育
混在、ごちゃまぜの教育

訳す人の数だけ解釈があるのが面白い。

わたしは「反対語はexclusive=排他的だなあ」と考えて「分け隔てのない」「誰でもどうぞ」などとプリントの片隅にメモをしていたが、二つ隣の席の女性が

「inclusiveは風呂敷を包むのではなく、風呂敷を開いた状態なんですね」

と言うのを聞いて、なるほどうまいこと言う、と感心した。

包み込まれては、はじかれる人が出てくる。開いたままなら、誰でも受け入れられる。風呂敷なら厚みもほとんどないから、敷居のような段差もない。

単に英語を日本語に置き換えるだけでなく、条約に込められた思いを読み解こうとする作業は、貴重な体験となった。

本からつながる

風呂敷発言の女性は英語を仕事にされている方かなと思ったら、勉強会の後、「今度、翻訳本が出るんです」と小笠先生に話しているのが聞こえた。帰りのエレベーターで一緒になったときに「さっきちらっと聞こえたんですが、なんという本ですか」と話しかけ、帰りの電車が同じ方向で、移動しながら話を続けた。

上原裕美子さんという翻訳家さんで、翌月に刊行を控えた『わが子と歩む道―「障害」をもつ子どもの親になるということ 』(シンディ・ダウリング他)の翻訳を手がけたことから勉強会に興味を持たれたという話だった。

ひとつ前に手がけた翻訳本は『母と娘 ふたりの風景』。「親子もの専門ってわけじゃないんですけど、たまたま続いたんです」。子育て真っ最中の当時のわたしには旬の話題だった。

名刺サイズの新聞記事からあたらしい人につながり、本につながった。本を読めばまた新たなつかがりが生まれるかもしれないと知的好奇心の風呂敷も広がった。


目に留めていただき、ありがとうございます。わたしが物書きでいられるのは、面白がってくださる方々のおかげです。