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念ずれば何とやら─43年前の授業中に書いた「かがみの世界」発掘

あるもののことを考えていたら、そのものが現れる。

ということがよく起こる。

遭遇確率が跳ね上がるからくりは単純で、「アンテナを張るようになるから、引っかかりやすくなる」のだが、待ち受けていたかのようなタイミングに運命めいたものを感じてしまう。


「あの原稿」があった

先日、「元の世界に戻れないかもしれない」というnoteを公開した。

noteを書いていて、小学生の頃に書いた「元の世界に戻れないかもしれない」話のことを思い出した。

小学6年生のとき、授業中にせっせと書いたのは、冴えない女の子が鏡の向こうの国で人気者になる話だった。何もかもが珍しい時期を過ぎると、今度は家に帰りたくなる。ホームシックが募る。けれど、鏡の国の住人は女の子を帰してくれない。

あの原稿は今もあるだろうか。実家の段ボールの中にある大量の大学ノートのどこかに。

「あの原稿は今もあるだろうか」

そのnoteを公開した2日後、堺の実家に帰ることになった。「雅子」と書かれたダンボール箱を開けると、目当てのノートがあっさり見つかった。

あだち充タッチだろうか。こんな絵を描いていた覚えがある。丸っこい字は中学生になってからの筆跡だ。同じクラスになって交換日記をしていた「のんのん」の文字が好きすぎて、真似するようになったから。

表紙をめくると、あった。

「かがみの世界」

そのまんまのタイトルをつけていた。

「かがみの世界」1ページ目。文字起こししたnoteを追って公開します。

内職の分量を超えていた

わたしが小学6年生だったのは、昭和56年(1981年)から57年(1982年)。

1981年は井上ひさし『吉里吉里人』が、1982年は村上春樹『羊をめぐる冒険』が刊行された年らしい。

40年余りの間に記憶の地層にさまざまな出来事が降り積った。

時を経て「かがみの世界」を読むと、わたしが記憶していたものと色々違った。

思ったより分量が多い。授業中に内職で書ける量を超えている。脇目も降らず書いていた当時の自分が目に浮かぶ。先生は気づいていて、見逃してくれていたのではなかろうか。

のちに中学校に上がり、同じことをしていたら、教卓にいたはずの先生がいつの間にか一番後ろの廊下側のわたしの席まで来ていた。大学ノートを取り上げられて初めて気づいたわたしが顔を上げると同時に、平手打ちが飛んだ。泣きやまないわたしを休み時間にクラスメートが「あれはないわ」「マイマイ可哀想やわ」と口々になぐさめてくれた。その中に、のんのんもいた。隣の席だった。

教える立場になり、あのときの先生の気持ちがわかるようになったのだが、自分の授業は聞いて欲しいし、他のことをしている生徒がいたら気になる。注意したくなるのは当然だ。

授業は現国(現代国語)だった。国語の授業そっちのけで好きな文章を書き散らす中学生。そりゃ面白くないだろう。

だからこそ余計に「かがみの世界」を見逃してくれた6年生のときの担任、オカモト先生には感謝と申し訳なさを覚える。

発掘した大学ノートには「国語 11/21」と書いたノートの切り抜き3枚が挟まれていた。国語の宿題だろうか。「ゆめをもとにして物語を作りました」に続いて、コロポックルの物語が綴られている。

赤ペンでオカモト先生からの感想があり、「創造力豊かな物語が書けましたね。また次を楽しみにしています」と書かれている。「かがみの世界」を書いたのが、この後だったのか、前だったのか、時系列がわからないが、先生にほめられて小学6年生のわたしが調子づいたことは想像できる。

感情を持って毒を盛って

「冴えない女の子が鏡の向こうの国で人気者になる話」という大筋は合っていたが、主人公の竹山ゆう子が思った以上にひどい書き方をされていた。

鏡に感情があるという設定を忘れていたのだが、この鏡がゆう子にのぞき込まれることを嫌がり、「おそろしい顔」などと毒づくのだ。

鏡は「かがみの世界」に預ける掟である「命」を預けておらず、「世界にたった一つの生きている鏡」となっている。ある日、その命を返すようにと「かがみの世界」から催促があり、どうしようと動揺しているところにゆう子が帰宅し、いつものように鏡をのぞき込むのだが、気持ちを落ち着けようと大きく深呼吸した鏡に吸い込まれてしまうという事故展開。

「物に感情が宿る話」を昔から書いていたというのは、うれしい発見だった。そして、大人になったわたしが苦手な「毒」を子どもの頃のわたしは意気揚々と盛っていた。

大人になったわたしは、人工知能内蔵の膝枕(「膝枕」)やマネキン(「間違いだらけのクリスマス」)やぬいぐるみ(「月のうさぎプロジェクト」)の話を書いている。

膝枕の白雪姫と王の恋路を「鏡」が見守る話も書いている。

モノが語る作風、小学生のときにできていた。

物書きの才能

「みなさんは、不思議と感じただろう」などと読者への呼びかけをちょいちょい挟んでいるところも興味深い。

人に読んでもらうことを意識していたのか、当時読んでいた小説の語り口の影響なのか。

図書室の本を片っ端から読んでいたが、ジャンルは推理小説とSFに偏っていた。どことなく文体が海外文学の翻訳っぽい気もする。

たくさん本を読むうちに「わたしも書いてみたい!」と思いつくまま鉛筆を走らせたのかもしれない。ゴールを決めずに走り出したからラストは盛り上がりに欠け、無理矢理まとめた感があり、訴えるものが弱い。当時何かの賞に応募してもひっかからなかっただろう。

わたしが審査員だったら「書くことが好きなのが伝わってきました。これからも書き続けてください」とエールを贈ったと思う。

授業中の内職で小説を書いていた小学生は物書きになり、今も書いている。

才能とは「続けるチカラ」である。

ちょっとずつ文字起こし

スマホで写真を撮って文字起こしすると、手書きな上に行間が詰まっているせいか、飛び飛びで読み取られる。足りないところを補って、少しずつ公開することに。


目に留めていただき、ありがとうございます。わたしが物書きでいられるのは、面白がってくださる方々のおかげです。