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また逢う日まで(出張いまいまさこカフェ最終回22杯目)

2006年9月から5年にわたって季刊フリーペーパー「buku」に連載していたエッセイ「出張いまいまさこカフェ」の22杯目にして最終回。vol.31で終刊となったbuku。表紙と巻頭インタビューは『ヒミズ』の園子温監督。

掲載誌。21回に続いて見開きで掲載していただきました。

「また逢う日まで」今井雅子

何か月かにわたって打ち合わせを重ねたテレビドラマの脚本がほぼ最終形となり、「あとはメールでの微調整で。お疲れさまでした」とプロデューサーに言われた。その帰り道、山手線に揺られながら、ほっとすると同時に淋しさを覚えていた。

それまでは毎週のように顔を合わせていた人たちと、来週からは、もう会わなくなる。今回は初めて組む人たちだったので、最初は緊張したし、自分の書くものが受け入れられるか不安もあった。書いて、直して、少しずつ打ち解けて、打てば響くやりとりが出来てきたと思ったら、さよならの日が来てしまった。

わたしは転校を体験したことがないのだけど、脚本家って転校を繰り返すような存在だなとふと思った。あちこちのチームに呼ばれては、一生懸命溶け込んで、必要とされるように力を尽くす。そうして、作品の色に染まったある季節を共に過ごして、去って行く。

それを淋しく感じたことがなかったのは、忙しかったせいもあるだろう。ひとつのチームから解放されたら、息つく間もなく、別なチームに合流する。その繰り返しが、感傷に浸る隙を埋めていたのだ。

もうひとつは、年のせいだろうか。年を重ねるごとに涙もろくなり、別れや終わりというものに諸行無常を感じてしまう。とくに今年は、震災があり、被災地から遠く離れた東京にいても、感情を揺さぶられることが多かった。それゆえ、いつも以上にさびしさの感度が上がっているのかもしれない。

さびしさとコインの表裏のように、「残す」ことへの想いが強くなっているのも感じる。映画もドラマも「商品」として消費されるのではなく、願わくば、観てくれた人の心に何かを残せる「作品」を作りたい。観客動員数や視聴率では測れない共鳴度のようなものを大切にしたい。

それもまた、人生の折り返しを意識する年になったせいであり、震災とも無関係ではない。

多くの脚本家と同じように、わたしも震災後の思考停止を味わった。脚本など書いて何になるのかという空しさにペンが止まり、そういう自分は逃げているだけではないか、ともう一人の自分が責めた。

そんな折り、新聞の片隅に「足りないもの 伝力」という投稿を見つけた。原発事故関連の情報が錯綜して混乱を招いている事態を揶揄したものだったが、わたしはこの「伝力」という二文字に大きなヒントをもらった。

伝力はコミュニケーション能力と言い換えてもいいかもしれない。ネットで誰とでもつながれる代わりに、ケータイの電源を落とすだけで、人とのつながりをあっさり絶ててしまう時代。喜怒哀楽といった感情よりも気分というモードで切り替えて、空気を読んで、まわりに合わせているうちに、自分が何者なんだか、何考えているんだか、よくわからなくなって、書き込みに「イイネ」がないと不安になってしまう。

情報の発信も共有もどんどん簡単になっているけれど、コピー&ペーストで切り貼りされた意見が一人歩きして、ほんとうに伝えたいことが、うまく伝わらないことも多い。

便利なんだか、不便なんだか。

そういう時代にわたしたちは居合わせている。うちの5歳娘などは、生まれたときからケータイがオモチャで、今やわたしよりも器用にタッチパネルを使いこなす。この子は、便箋に手紙書いて、切手貼って、文通なんかするだろうか。そろそろ手紙が着いた頃だなとカレンダーを眺めたり、筆跡から相手の顔を想像したりする間を端折って、顔写真を添付したメールをさっさと交換するのだろう。

でも、そんな時代でも、作り手の「これを世に出したい」という想いが作品を完成させるのは変わらない。その熱意は伝力の塊と言っていい。何かを伝えたいというパワーが受け手の心を震わせたとき、エアコンの清涼感や炬燵の温もりや電球の明るさが生まれる。そして、誰かに「こんな作品を観たよ」と伝えたくなる。

伝力は連鎖し、循環する。家庭で、職場で、社会で。そう信じて、今まで以上に、伝えたい想いをひとつひとつの作品に込めること。作品が受け止められる場面を思い浮かべて、そこに向かって書くこと。それが今、脚本家・今井雅子のできること、その一。

もうひとつ、これから力を入れていこうと考えているのが、脚本教室。学校に出向いて、脚本の書き方を教えるというもので、まずは中学校から始めてみるが、小学校からでも早すぎないと思う。

脚本は、よく設計図に喩えられるが、誰が見ても明解な指示書でなくてはならない。つまり、「正しく伝わる」ことを要求される書式だ。それゆえ無駄を削ぎ落とした簡潔な表現になっている。ケータイメールの短い文体と近いとも言える。

国語力や語彙に自信がなくても比較的操縦しやすい「メッセージの乗り物」を得て、自分の想いを解き放ち、ラクになれる生徒は少なくないかもしれない。また、登場人物の身になって、「こんなときAは、どうする?」「そうすると、Bはどう思う?」などと連想する作業は、自分を客観的に見たり、他人を思いやったりする力を育てる。それが、日本の「伝力不足」解消につながるのではないかと期待している。

さて、連載22回を数えたこのコラムが、bukuとともに幕を閉じることになった。会うは別れの始まりだけど、会えなくなるのが淋しいと思える出会いに恵まれるのは、幸せなことだ。作品であっても、連載であっても。その名残惜しさがわたしの片想いではなく、相手との両想いであれば、きっとまた、どこかでめぐり逢える。

出張いまいまさこカフェを読んでいただき、ありがとうございました。

母校・堺市立三原台中学校での講演の日に立てられた大きな案内看板。《堺市立三原台中字校PTA 三原台中学校区青少年健全育成協議会 共催 教育講演会 演題 「日常はドラマの宝庫」 〇講師 今井 雅子(いまいまさこ)さん プロフィール ・高倉台小学校 三原台中学校卒業》

写真脚注)講演で「伝力」の話をすると、大きくうなずくのは中高年の方。若い方はあまりピンと来ない様子。


プロフィール(2011年掲載当時)

今井雅子(いまいまさこ) www.masakoimai.com
大阪府堺市出身。コピーライター勤務の傍らNHK札幌放送局の脚本コンクールで『雪だるまの詩』が入選し、脚本家デビュー。同作品で第26回放送文化基金賞ラジオ番組部門本賞を受賞。映画作品に『パコダテ人』『風の絨毯』『ジェニファ 涙石の恋』『子ぎつねヘレン』『天使の卵』『ぼくとママの黄色い自転車』。テレビ作品に自らの原作『ブレーン・ストーミング・ティーン』をドラマ化した「ブレスト~女子高生、10億円の賭け!」(テレビ朝日)、「快感職人」(テレビ朝日)、「アテンションプリーズ スペシャル〜オーストラリア・シドニー編〜」(フジテレビ)、NHK朝ドラ「つばさ」脚本協力、朝ドラ「てっぱん」、「ビターシュガー」(NHK)ほか。


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目に留めていただき、ありがとうございます。わたしが物書きでいられるのは、面白がってくださる方々のおかげです。