なくしたのは魂だった─さすらい駅わすれもの室「迷子の音符たち」
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掌編シリーズ「さすらい駅わすれもの室」春色3部作。「世界にたったひとつの帽子」「指輪の春」に続いて、最後の一篇は「迷子の音符たち」。
今井雅子作 さすらい駅わすれもの室「迷子の音符たち」
さすらい駅の片隅に、ひっそりと佇む、わすれもの室。そこがわたしの仕事場です。 ここでは、ありとあらゆるわすれものが、持ち主が現れるのを待っています。
傘も鞄も百円で買える時代、わすれものを取りに来る人は、減るばかり。 多くの人たちは、どこかに何かをわすれたことさえ、わすれてしまっています。
だから、わたしは思うのです。ここに来る人は幸せだ、と。
駅に舞い戻り、窓口のわたしに説明し、書類に記入する、 そんな手間をかけてまで取り戻したいものがあるのですから。
「わすれもの、ありませんでしたか」
彼女が息せき切ってわすれもの室に駆け込んできたのは、 ある春の日の昼下がりのことでした。
「楽譜です。ピアノの楽譜です」
さくら色のパンプスの足音を響かせながら、青ざめた顔で彼女はそう言いました。 そして、わたしが返事をするより先に、窓口の横の扉を抜け、 わすれものが並ぶ棚を引っかき回しました。
「勝手に入られては困ります」とわたしが止めると、 「楽譜がないと困るんです! リサイタルの練習ができないんです!」 と彼女は尖った声で返してきました。
こんなときは、何を言っても無駄です。わすれもののことで頭がいっぱいになっている人は、思いやりさえもわすれてしまうのです。
プロの音楽家なのでしょうか。彼女が弾くピアノは、どんな音を奏でるのでしょう。きりきりして苛立った、ケンカしているような音でしょうか。
「お探しの楽譜について、くわしく教えてください。手書きの楽譜ですか。用紙はどんな色ですか。封筒に入っていますか」
わたしの声は、やはり彼女の耳には届いていない様子でした。
「危ないですから、わたしがお探しします」
わたしが止めるのも聞かず、彼女は、わすれものの山をかき分け、わすれもの室の奥へ奥へとずんずん入って行きます。
「われものやこわれものもありますから。あ、危ない!」
とそのとき、彼女が何かにつまずき、「あっ」と小さな悲鳴を上げてよろめいたかと思うと、ジャーンと和音が鳴り響きました。 床に置かれていたおもちゃのピアノを蹴っ飛ばしたようです。 やれやれとわたしはため息をつきました。
「あれ、どうしてこんなところに」
彼女は、いくぶん冷静さを取り戻した声で、 さくら色のパンプスの足元にある小さなピアノを見つめました。
そこは、わすれもの室の突き当たりの壁の手前。 入口から離れた奥まった場所に置かれているということは、 もう何年も持ち主が現れていないことを意味します。
正確には、それはわすれものではなく、捨てられていたものでした。 そのピアノのことは、よく覚えています。 さすらい駅で働くようになって間もない頃、 わたしが線路の脇の草むらから拾い上げたのです。
「このピアノ......子どもの頃に遊んだピアノなんです」
小さなピアノの前にかがみこんで、彼女は言いました。
「本物のピアノを買ってもらって、悪い癖がつかないようにって、捨てられたんです」
ゴミに出されたおもちゃのピアノは、誰かの手によって駅まで運ばれ、 線路脇に捨てられ、わたしの手に拾われ、わすれもの室にやって来ました。 そのピアノが、何十年かのときを経て、最初の持ち主と向き合っているのでした。
彼女はおもちゃのピアノの小さな鍵盤に、そっと指をのせました。
かつて遊んだ頃より、ずっと長くなった指。小さくなったピアノ。ひさしぶり、と遠慮がちにあいさつを交わすように、小さな音が鳴りました。その途端、ほとばしるようにメロディがあふれだしました。
十本の指は踊るように黒と白の鍵盤を跳ね回ります。まるで鍵盤が二倍三倍にふえたようです。彼女は先ほどまでとは別人のように生き生きとして、埃をかぶっていたピアノは、永い眠りから覚めたように、実に楽しげに歌っています。
とつぜん開かれたピアノリサイタルに、たったひとりの観客であるわたしは、惜しみない拍手を贈りました。
「このピアノ、持って帰ってもいいですか」 「もちろんです。あなたのものであることは、わたしが証明します」
「ありがとうございます」
小さなピアノを抱きしめる彼女の顔は、明るく晴れやかでした。 窓から射し込む光が、再会を祝福するように、彼女とピアノをやさしく照らします。
ああ、春だ、とわたしは思いました。
「楽譜が見つかったら、連絡を差し上げましょうか」
「その必要はありません」
彼女はきっぱりと言いました。
「だって、嘘だったんです」
「嘘?」
わたしは思わず聞き返しました。
「嘘って......どういうことですか」
「リサイタルが近いのに、なかなか思うように弾けなくて......。だから、楽譜をなくして練習できなかったことにしようって......。必死に探しているふりをしていたんです。 嘘をついて、ごめんなさい」
わたしは、彼女に何と声をかけていいのか、わかりませんでした。 どんな顔をしていいのかも、わかりませんでした。 怒ることも、悲しむことも、違うような気がしました。 ただ、さっきまでの浮き立つようなうれしさがしぼんでしまうのが、淋しいだけでした。
「いいえ、あなたは、嘘なんかついていません」
わたしは、彼女を真っ直ぐに見て、言いました。
「あなたがわすれものをしていたのは本当のことですから」
わたしは受け取りの書類を一枚取り出し、 わすれものの品名の欄に「楽譜」と書き入れました。 楽譜の楽(がく)、楽しいという文字に多少力を込めて。
「良かったです。わすれものが見つかって。 きっと、すばらしいリサイタルになりますね」
わたしは彼女とおもちゃのピアノを見て、言いました。
「ええ......きっと」
うなずく彼女の目から、きれいな涙がひとすじ滴り落ちました。
受け取りのサインに記された名前を見て、わたしは、はっとなりました。 音楽の世界に疎いわたしですら見覚えのある有名なピアニストの名前でした。
そのとき、カレンダーの今日の日付に目が留まりました。 年に一度、嘘をつくことが許されるという日。
これからこの日がめぐるたび、わたしは思い出すことになりそうです。 このわすれもの室を明るい音色が満たした昼下がりのことを。
楽譜をなくすことの重み
2017年春の音due.関西遠征ライブから4年、3/19(金)に秋元紀子さんのClubhouseルームで「まいごの音符たち」を読んでいただいた。
ステージに聴き手が上がって読み手を取り囲んでいる状態だから、読み終えた秋元さんをすぐさまつかまえて感想会が始まる。聴き手に交じっているわたしも、その場で感想を聴ける。時差がない分、鮮度の高い、濾過もしていない生の反応が返ってくる。
「楽譜をなくても買えるんじゃないのって思ったんだけど」秋元さんがそう言うと、
「楽譜は替えがききません! 書き込みをするので」とホルンを吹いているという方からの意見。
「なるほど。台本と同じかー」と秋元さんは納得し、「わたしはいっぱい書き込んでから、書き込みのことを全部忘れて本番に臨むの」と続けた。
「本格的なピアノがちょうどこれから届くところで、そしたらおもちゃのピアノがいらなくなるなと思っていて、すごいタイミングでびっくり」
そう言った参加者のナオコさんは、おいしいものを食べて飲んで尽きない話をする胃袋つながりの友人の一人。なんと秋元さんの教え子だったことがわかり、わたしはピアノの偶然以上にそのつながりにびっくりした。
音符がまいごになった理由
「初期衝動の話ですね」という感想もあった。
さがしものの楽譜は見つかなかったけれど、同い頃に遊んだおもちゃのピアノと再会し、ただただ楽しくて夢中で弾いていた頃の気持ちを思い出す。
なくしたのは、ピアノに込める想い、ピアニストの魂だった。
好きなことを仕事にできる喜びが苦しみになることがある。好きだから苦にならなかったことが、好きなのに、好きなはずなのに重荷になる。好きだからこそ、楽しめなくなっていることが余計に辛いし、しんどい。自分にはこれしかないという気持ちもあるから、逃げ場がない。
だから、自分ではなく、よそに理由を求めて、「できない」の口実にする。わすれもの室を訪ねたピアニストの場合は、「楽譜をなくした」という嘘をついて、逃げ道を作ろうとした。
実は、「楽譜をなくしたというのは嘘だった」というくだりは初稿にはなかった。
「まいごの音符たち」初稿は、こんな風に結ばれている。
初稿では、ピアニストがなくしたのは、「ピアニストが書いた楽譜」だった。
ところが、音due.のライブ公演を前に読み合わせをしたとき、ピアノの窪田ミナさんが言った。
「メロディは頭の中にあるので、また書けますよね」
なるほど。そうなのか。
「じゃあミナさんがこの作品のピアニストだったら、どんな楽譜を探しに来ますか?」
「わたしだったら……演奏用の楽譜をなくしたから練習できないって言い訳にするかな」
ミナさんの実感のある一言で、ラストが大きく変わり、膨らんだ。
ピアニストが苦しみを打ち明けたからこそ、わすれもの室の「わたし」は、ピアニストがわすれた楽しさの重みに思い至る。
「楽譜」の中にある「楽」の字に光が当たるラストとなった。
安房直子さんの「うさぎのくれたバレエシューズ」
「まいごの音符たち」から秋元紀子さんが思い浮かべて読んでくれた安房直子さんの作品は「うさぎのくれたバレエシューズ」。
わたしの娘がバレエを習い始めた頃に絵本を買い求め、何度も読み聞かせた思い出深い作品。わたしの中では「安房直子さんといえば秋元紀子さん」なので、この絵本を開くたびにの秋元さんの声を思い出していた。
Clubhouseで再会した秋元さんが「わすれもの室」作品を読んでくれ、そこから「うさぎのくれたバレエシューズ」につながり、連想ゲームみたいで楽しい。安房直子さんの作品をアンサーストーリーに選んで読んでもらえるとは、なんてありがたき幸せ。
いつもは読み聞かせる側だった「うさぎのくれたバレエシューズ」を人に読んでもらうのも新鮮で、あらためて物語を味わうと、これも、バレエシューズという「もの」にのせて「表現する喜び、楽しみ」を得る話だった。
創造する喜び、楽しみが苦しみに変わると、表現は出口を見失い、まいごになってしまう。音符も、言葉も、色も、形も。
もし、今、わたしの言葉がまいごになっていたら、昔書いた自分の作品を誰かが読んでくれ、別な誰かが感想を寄せてくれる時間にどれだけ慰められ、力づけられるだろう。これから、まいごになったときも、きっと。
Clubhouseは、まいごになった表現を取り戻す「わすれもの室」にもなる。
Clubhouse朗読をreplayで
2022.3.31 エイプリルフールの前夜に、おもにゃん。
4.1 エイプリルフールに宮村麻未さん。お友達の絵鳩なぎささんのピアノ「こはく」ちゃんの音色とともに。
夜には水野智苗さん
2022.5.24 堀加由香里さんクラハ1周年記念日
2022.6.29 おもにゃん(大文字あつこ=福岡敦子さん)
2022.9.4 フジタミホさん(トイピアノのコンサートを聴いた次の日に)
2022.12.29 宮村麻未さん
2023.2.26 宮村麻未さん(ものがたり交差点CMで幕開き)
2023.6.29 こたろんさん
7.22 フジタミホさん(「おばあちゃんの膝枕」に続けて)
clubhouseの外
2024.11.17 秋元紀子さんがFMぎのわんの番組「おやすみ前の本棚」内にて朗読