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変な少女と不幸なかがみ─「かがみの世界」1
小学6年生のとき授業中にせっせと書いていた小説のことを思い出し、noteに書いた矢先、実家で大学ノートを発掘した。
その経緯はこちらに。
タイトルは「かがみの世界」。
全部で13章あり、なかなかボリューミーなので少しずつ文字起こしを公開することに。表記の誤りなどは後ろでツッコミを入れます。
今井雅子作「かがみの世界」1
とにかく、ゆう子ほど、かがみを見るのが好きな子はいなかった。なにしろ、学校から帰ると、本当なら、
「ただ今」と、言うところを、この子ときたら、かがみの前でかみの毛をきれいにし、にっこりしてからでないと、それが言えない。いや、そうしないと気がすまないのだ。
宿題をする時も、机の上に置いた、小さな白いかがみを、のぞきこむ、そして、
「かがみよかがみ、私は世界で一番美しい、竹山ゆう子だ。われたりしては、ただではおかぬ」
と、わざと、おそろしい顔をして、にらみつけるのだ。
ところが、このかがみは、ふつうのかがみとは、少しちがっていた。いや、全く別のものであった。なんと、生きているのである。世界でただ一つの不思議なかがみは、ぐうぜんにも、この、かがみにとりつかれた、変な少女のものになってしまった。これは、かがみにとっては、大変、不幸なことであった。
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その日も、ゆう子のおそろしい顔を、つきつけられた時は、今にもわれそうなのを、必死にこらえていたのである。「まんざらでもない顔(※1)を、よけいにおかしくされては、たまらないものだ」と、かがみはいつも思っていた。
「世界で一つの生きてるかがみ」と招介(※2)したが、実は、そうではなかった。もちろん一つには、変わりないが、たくさんと言えば、たくさんである。なぜ、そんな、ややこしいことになるのか、それは、こういうわけである。
世界中のかがみは、作られた時から、命をもっている。だが、それは、『かがみの世界』にあずけなければならなかった。ところが、この小さな白いかがみは、それをしぶった。せっかく生まれてきたのに、わざわざ人に、命をあずけるなんていやだった。だから、『命あずかり人』というのが来た時、空気のすき間をすべって、にげてきたのである。こうして、ただひとつ、にげるのに成功したがかみは、人にはわからなくても生きているのであった。
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みなさんは、不思議と感じただろう。人間に作られたかがみに、なぜ、命があるのか? かがみがにげた「空気の間」というのは何か?
むつかしいようで、それは、ごく簡単なことである。ある空間に、「かがみの世界」というものがあり、そこと、この世界とが一種の空間でつながれているわけだ。かがみたちは作られたしゅん間、「かがみの世界」からたましいを受けとり、そのたましいだけは「かがみの世界」へゆく。だから、その時、たましいは、「かがみの世界」へ行くが、体は動かず、人間は、それに気が付かないのである。
『命、あずかり人』というのも、本当はいない。ただ、たましいが動く間に製品が運ばれると、たましいは、自分がどこにいたかわからなくなるのだ。でも、かがみたちは、それを知らないから、だれかが、たましいと体をひきさくと思っていた。それを『命、あずかり人』とよんでいるだけのことである。
「空気の間」も、もうおわかりになっただろう。空間をとおり、製品が、運ばれる前に、たましいがもどったのである。ほら、話せばごく簡単なことだろう。
かがみたちは、いちおう命をあずけていることになっているのだから、今は生きていなくても、自分の命があることには変わりない。つまり、生きているといえば、生きていることになる。この白くて小さなゆう子のかがみが、世界で一つであり、どこにでもあるかがみであることも、なっとくされただろう。
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43年後のツッコミ
「まんざらでもない顔(※1)を、よけいにおかしくされては、たまらないものだ」と、かがみはいつも思っていた。
「まんざらでもない顔」という言葉を覚えて、どこかで使いたかったのだろう。「まんざらでもない≒悪くない(そんなに良くない)」という意味合いで使っていると思われる。
「世界で一つの生きてるかがみ」と招介(※2)したが、
「紹介」は6年生までに習う漢字だったのかどうか不明だが、糸偏と手偏の混同はありがち。「紹介」が「招介」になっているのは、脚本コンクールの応募作でもよく見る。「完璧」を「完壁」と間違えるのと双璧かも。
ほかに『』と「」が統一されていなかったり、「、」の打ち方が不安定だったりするが、表記のまとまりのなさは勢いに任せた手書きの一発書きならではかもしれない。
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