期待と諦めと意地の地層から─茶碗焼きが見た膝枕
このnoteで公開している作品は、2021年5月31日から朗読と二次創作のリレー(通称「膝枕リレー」)が続いている短編小説「膝枕」の派生作品です。
「膝枕リレー2(knee)周年」蔵出し第4作として公開。楓(kana kaede)さん作「陶芸家が見た膝枕」とあわせてどうぞ。
今井雅子作「膝枕」外伝 「茶碗焼きが見た膝枕」
「膝枕をひとつ、焼いて欲しいのです」
茶碗をひとつと頼むような口ぶりで、その客は告げた。
はじめて見る顔だった。地図になく、案内板も出していない、深い森に閉ざされた陶房をどうやって探し当てたのだろうと茶碗焼きはいぶかしんだ。客が大きな旅行鞄を抱きしめるように抱えているのも異様だった。
だいいち、膝枕を焼いてくれとは、どういうことなのだろう。膝枕とは、ひとつ、ふたつと数えられるものなのだろうか。数えるとしたら、一度、二度ではないのだろうか。
茶碗焼きの顔に浮かんだ戸惑いを見て、客は旅行鞄の口を開け、「この子です」と示した。
茶碗焼きが覗き込むと、女の腰から下が正座の姿勢で納められていた。生身の膝そっくりだが、もちろん作りもののようだ。腰に巻きつけた白い布の裾から膝頭がふたつ、顔を出している。客が両腕で鞄を抱きかかえていた理由がわかった。
「こちらの写しをこしらえるということでしょうか」
「いえ、うつわを」
この子のうつわでお酒を飲みたいのですと客は言い、壁際の棚に目をやった。
茶碗。深皿。小鉢。平皿。片口。湯呑み。ぐい呑み……。
茶碗焼きは細々とうつわを焼き、暮らしを立てている。茶碗がひとつ売れて、五千円から一万円。
客の視線が、ぐい呑みで止まった。それから、旅行鞄の中に目をやる。
膝枕の形のぐい呑みを焼いて欲しいということらしい。
特注品となると試作を重ねることになる。注文はひとつでも手間は何倍もかかる。ひとつ分の値段で引き受けるわけにはいかないと茶碗焼きが渋ると、客は十三万円という数字を口にした。
十三万円。ひと月分の売り上げだ。
聞き間違えたかと思ったが、もう一度口にしたのも、同じ数字だった。
はやる気持ちを抑え、お待たせすることになるかもしれませんがと茶碗焼きは勿体をつけて引き受けた。
納品を待つ他の依頼などなかったが、締切を控えていた。
年に一度の展覧会。
挑み続けて、今年で十三年になる。
このまましがない茶碗焼きで終わるのか。それとも作家として世に認められるのか。小さく開かれた門の向こうへわが名をねじ込ませようと土をこねる。
今年こそ。今年こそ。今年こそ。
意気込みは裏切られるたびに薄れ、十年を過ぎてからは惰性で続けている。夏になったら扇風機を出すように。冬になったら炬燵を出すように。
腕は上がっているはずである。だが、若い頃にあった勢いは消え、はみ出すような面白みが削がれている。この十三年で得たものよりも失ったもののほうが大きいのではないかと思うと、空しくなる。
それでも、今年も懲りずに挑もうとしていた。年の瀬の宝くじ売り場を素通りできない感覚に近いかもしれない。自分が買わなかった年にいつもの売り場から当たりが出ると、買っておけば良かったと悔まれる。買ったからといって自分に当たりが舞い込むとは限らないのだが、買わない宝くじは当たらない。せめて土俵には上がっておきたい。
もはや腕ではなく運頼みになっているのが情けないが、歳月をつぎ込んだ博打から降りられなくなっていた。
膝枕の注文に取りかかれば、展覧会は後回しになる。今年は締め切りに間に合わないかもしれない。あてにならない賞金より、確実に受け取れる十三万円。展覧会を降りる口実を探していたのだと茶碗焼きは気づく。「今年こそは」の期待と諦めと意地が地層のように積もり、のしかかっていた。
逃げるのではない。他にやることができたのだ。
膝枕で酒を飲みたいという客の注文に応えることだけを考え、手を動かす。形を探り、丸みを整え、うわぐすりを塗る。
白い膝を揃えた、ぐい呑みが焼き上がった。
客は大層喜び、約束の十三万円に色をつけ、茶碗焼きに報いた。かつて手がけたうつわが、これほど喜ばれたことはなかった。だが、茶碗焼きの心は激しく波立っていた。
あの白い肌に、口などつけてもらいたくない。
客に納めた品なのだから、どう扱おうと客の勝手なのだが、自分の手を離れた膝枕の純潔を守りたいという身勝手な思いが込み上げる。
「花を活けるのが良いかもしれません。この白い肌には、どんな花も映えることでしょう」
茶碗焼きがそう告げると、なるほどと客は言い、帰りに花を買おうと声を弾ませた。
膝枕の純白は守られそうだと茶碗焼きは胸を撫で下ろしたが、その胸にまだ何かがつかえているような居心地の悪さが残った。
あれで膝枕を焼いたと言えるのだろうか。
ぐい呑みに膝をくっつけただけではないか。
酒を受け止めるにせよ、花を受け止めるにせよ、そこは膝ではなく胴である。膝の上に口を開けた、空洞の胴体。そこに何をおさめようと、膝は飾りにしかならない。あってもなくても変わりはなく、膝である必要もない。
もちろん、うつわにするためには、あの胴体が必要だった。膝で酒を受け止めることはできない。花を活けようにも水を溜められない。だから胴体を伸ばしたのだ。
液状のものでなければ、膝を皿にして受け止めることができるかもしれないが、膝の上に何を置いても転がってしまい、おさまりが悪い。
ならば、箸置きにするのはどうか。
閃くと同時に茶碗焼きは手を動かし始めた。ぐい呑みよりもさらに小さな膝頭を指先で整える。ほどなくして膝枕の形をした箸置きが焼き上がった。ぐい呑みから間延びした胴体を取り払い、腰から下が正座しただけの形に立ち返ったというわけだ。
朱塗りの箸を置いてみると、白いふたつの膝に二本の赤が映えた。雪景色に立つ鳥居のようだ。
その途端、茶碗焼きは奇妙な想いにとらわれた。膝に体を横たえた箸に嫉妬したのである。
箸を押しのけ、我が身を横たえたい。あの白い膝に。
そう思うと同時に土をつかみ、こね始めた。頭の中には、客の旅行鞄におさまっていた膝枕の白い膝が焼きついていた。あの白さを、あの形を、土から生み出すのだ。
もっと丸く、さらに丸く。形を探った膝にうわぐすりを重ねる。もっと白く、さらに白く、誰も触れたことのない白雪のようなきらめく白さを。
焼き上がった膝枕に窓からの月明かりが差し込み、ふたつの白い膝を照らした。
この膝に早く身を委ねたいという衝動がこみあげるのを、茶碗焼きは、ぐっと押しとどめ、窯の熱が冷めるのを待つ。だが、
もう我慢できない。
待ちきれず、火照りの残る肌に、そっと頭をのせてみる。人肌のような温もりが茶碗焼きを受け入れる。
どこにも引っかかるところがなく、なめらかで、つややかな肌。やきものであることを忘れさせる、やわらかな丸み。天にも昇る気持ちだ。
このうつわと出会うために、来る日も来る日も土をこね、十三年のときを費やしてきたのだ。これで良かったのだ、正しかったのだ。膝枕の肌が茶碗焼きの頬を撫でる。自らが生み出した肌触りに慰められる。
これを展覧会に出そう。しがない茶碗焼きの殻を脱ぎ捨て、やきもの作家に躍り出るのだ。
うつわの名前は何が良いだろう。
白雪。
雪ひめ。
雪むすめ。
雪化粧。
雪景色。
「ダメヨ ワタシタチ ハナレラレナイ ウンメイナノ」
夢かうつつか、膝枕の声が聞こえた気がした。
そうだ。片時も離れたくない。展覧会に出したら、離れ離れになってしまうではないかと茶碗焼きは思い直す。展覧会になど出してはならぬ。誰の頭にも、誰の手にも、誰の目にも触れさせてはならぬ。ふたりだけの秘めごと。富も名誉も、もはやなんの意味もない。
この膝があれば、もう何もいらない。
茶碗焼きの頭は、ますます箱入り娘の膝枕に沈み込む。薄れゆく意識の中で、うつわの銘が思い浮かんだ。
「箱入り娘」
返事をするように、茶碗焼きの頭の下で、ふたつの膝が小さく弾み、乾いた音を立てた。
深い森に閉ざされた陶房の中、窓からの月明かりに照らされ、正座した女の腰を象ったやきものの白い肌が光る。
他には、何もない。
膝枕カップから2年
膝枕に陶芸を絡める構想は早くからあった。映画『嘘八百』シリーズで陶芸監修を務める檀上尚亮さんと「陶芸家が自分の焼いた膝枕に溺れる話」を妄想していたのは、膝枕リレーが始まって間もない頃だった。陶器の枕を意味する「陶枕(とうちん)」というタイトル案もいただいていたが、耳で聞いても漢字が思い浮かばないねと話していた。
わたしが物語を膨らませるより、檀上さんが膝枕を作り始めたほうが早かったのだが、それがいつのことだったかとやりとりを遡って驚いた。
「膝枕カップ」を檀上さんが思いついたのが6月11日。膝枕リレーが始まって2週間も経っていない。
わたしの膝で型取りする計画があったことを、掘り出したメッセージで思い出した。
「人体の型取り」というパワーワード。
後に外伝「夫婦膝枕」で、型取りした膝からオーダーメイドの「ぽっちゃり膝枕」を作る話を書いたが、それより前に陶芸家は膝の型取りを具体的に検討していた。
膝枕リレーが始まった3週間後には、膝枕カップの試作が始まっていた。
作者の手を離れたのは、それから数か月後のこと。
第一号を膝番号13小羽勝也さんの誕生日祝いに贈ったのが10月の終わり。
檀上さんは「膝枕陶芸家」またの名を「ヒザーポッター」と名乗り始めた。
その後、何人かの膝枕erさんにも贈らせてもらったが、『嘘八百』第3弾の撮影準備で忙しくなって以降、新作膝枕カップの製作は止まっている。
実在する膝枕カップに物語がようやく追いつき、頭をのせられる陶器膝枕は物語が先行する形となった。檀上さんはまだ大物には着手していないはず。たぶん。きっと……。
しがない茶碗焼きといえば
茶碗焼も客も性別をあえて指定していないが、「しがない茶碗焼き」と自嘲する主人公は、映画『嘘八百』シリーズの野田佐輔をイメージしている。
佐輔を演じる佐々木蔵之介さんに陶芸の手ほどきをしているのが檀上さんだが、佐輔のキャラクターには檀上さん自身が相当反映されているので、「茶碗焼きが見た膝枕」の主人公にも檀上さんが入っていることになる。
つまり、けっこうあて書き。
「茶碗焼きが見た膝枕」の下書きを読んだ檀上さんからは、「なんだか見透かされてる感じがした」と感想をもらった。
なにせ、けっこうあて書きなので。
茶碗焼きと膝枕erの共通点
感想とあわせて「膝枕リレー2周年にあたり」とお祝いの言葉も寄せてくれた檀上さん。
「なんてね(笑)」と最後に照れている。ふだん考えていることをつい語ってしまった感じだ。
土と向き合う時間も膝枕に溺れる時間もカレンダーでは測れない。時間の単位を超越した竜宮城効果。これは現実逃避なのか、それとも……。などと思索の迷路を彷徨いながら茶碗焼きは手を動かす。知らんけど。いや、わかる。「膝枕」の朗読や二次創作も似たようなもの。ナカーマ。
人に夢と書いて、儚い。
儚い一生だから、人は夢を見る。
『嘘八百 なにわ夢の陣』にも通じるが、ゆめまぼろしに惑わされるのも、それをチカラに変えられるのも人間だけ。ゆめまぼろしでつながることもできるのも。
地層から掘り出された物語を朗読する人が現れ,それを聞いてうつわを閃き、形にする人が現れ、そのうつわを盛り込んだ新たな物語が生まれた。それをまた読む人が現れ、次の何かにつながるのだろう。
まもなく膝枕リレー2(knee)周年。
檀上さん、ご祝儀の膝枕、お待ちしています!
オマケの「箱入り娘」写真館
膝枕カップは、乾杯の絵映えはするが、飲みものを飲むより花を活けるほうが似合うように思う。わたしは季節の花や観葉植物を飾って楽しんでいる。赤やピンクはもちろん似合うが、グリーンもよく映える。
ペン立てにしたり、飴を入れたりしている人もいる。
膝番号17桜井ういよさんは四季折々の装いに小物もコーディネート。これはもう、うつわというより着せ替え人形。
clubhouse朗読をreplayで
2023.5.26 小羽勝也さん
2023.5.30 鈴蘭さん
2023.6.1 鈴木順子さん
2023.9.8 こもにゃんさん(アップデート2日目)